宇崎ちゃんのチョコミン党演説もしくは言葉を尽くすこと

去冬の青ブタ以降アニメを流す東京ローカルのMXにチャンネルを夜に合わせることがあることは何度か書いた記憶があります。そのなかでいまMXで放映してるのが「宇崎ちゃんは遊びたい」です。ヒロインの女子大生である宇崎ちゃんは世界一安全な生き物と思ってる顔の怖い高校時代の同じ部活の桜井先輩にウザがられながらもつきまいます。桜井先輩はつきまとう後輩を困惑しつつも受容し・うざいと思いつつ突き放すことはしません。桜井先輩が困惑する姿はっていうか他人が困惑する姿は傍から見てると飽きないのでテレビアニメ向きなのかもしれないと思いました、って書きたかったのはそんなことではなくて。そもそも先週の一回しか観ていませんから多くを語れません。

先週の回では桜井先輩がチョコミントを「歯磨き粉」と形容したことに宇崎ちゃんは激怒します。最初は「ああそういえば似てるかな…」などと私個人は流していたのですがいつのまにか桜井先輩相手に宇崎ちゃんの大演説がはじまり、途中から手を止めてテレビの前で釘付けになっていました。「自分が理解できないものは迫害していい」と勝手に思っている連中の思い上がりを許せない、とその大演説の中で宇崎ちゃんは述べていて、理解できないものを無自覚に(もしくは感覚的なものに頼って)否定していいわけではないのは確かにそうで、言葉を尽くして演説をぶつ宇崎ちゃんをみて、なんだろ、世の中の批評にもちょっとなってるよなあ、などと思いました。本題はあくまでチョコミントの話ではあるのですが。

話をもとに戻すと・いくらかネタバレをお許しいただきたいのですが、演説のあと宇崎ちゃんは桜井先輩がチョコミントを苦手とする理由を知りその苦手を克服させようと言葉を尽くし、躊躇しつつ桜井先輩は宇崎ちゃんが与えたチョコミントを結果的に受容します。演説からはじまる一連の言語によるコミュニケーションが成功したのをみて、言葉を尽くすのって大事なのかもしれぬな、と思いました。ただし当該チョコミントの受容が間接キスになることに宇崎ちゃんがあとで気が付くのがオチになってて、観た方にこの2人はどう変化するのだろう、という余韻を残しつつその回は終わったのですが。

世上の評価は知らぬものの、苦手克服と根源的な意思疎通の一場面を観た気がしてならず良いものを観た感があって、明日放映があって、視聴するかどうかは決めてませんがちょっと気になっています。