チョコミントアイスのウィスキーがけ

東京ローカルのテレビ局のMXは夜10時台になぜかアニメをやっています。今夏のほうが状況はシビアですが去夏も報道を眺めてると陰陰滅滅としてくるのでチャンネルをMXに合わせた時期があって、去夏にMXでやっていたのが「宇崎ちゃんは遊びたい!」でした。偶然視聴した回の主題がチョコミントアイスにまつわる話で、宇崎ちゃんが執拗につきまとう桜井先輩がチョコミントと歯磨き粉を同列に並べたことをきっかけに宇崎ちゃんの大演説がはじまってます。もっともその内容は「チョコミン党は無理解からくる無自覚な悪意に晒されてきた」としつつも「誰が何と言おうとチョコミントは美味しい」という結論が示すようにけっして緻密な論理の組み立ての上で成立してるわけではないのですがチョコミン党員としてはつい見入って・聞き入ってしまっていましたし、詳細はなんらかのカタチでアニメをご覧いただきたいのですが桜井先輩も最後にはチョコミントを受容します。

その中でひどく印象に残ったのが「わたしが許せないのは自分が理解できないものは迫害していいと思ってる連中の思い上がり」というフレーズで、なぜそんなことが起こるのかを含めて確かに不当です。「理解できないことが起きたときそれを否定もしくは迫害することで当事者は当座の安心を得るのかもしれない」という仮説を持ってはいるのですが、否定したい理解できないことが起きてそれを否定もしくは迫害したとしても現実には相応の理屈や需要があって存在していて消すことは出来ぬわけで否定や迫害は意味がないのは明らかで否定派がバカでは無ければそれらを理解してるはずで、最後はやはり理屈ではない感情的なところなのだろうな、と思っています(注・チョコミントアイスの話をしています)。

他人との差異を認める・認めないことは人としての本質や品位にかかわる問題ではないのか?という根源的な疑問は横に置いておくとして(注・チョコミントアイスの話をしています)、チョコミン党員と否定派との間に差異があってチョコミントの否定や党員への迫害が理屈ではないところの・感情的なものの結果であるならば、(理屈ではないところの感情的なものゆえに強固で理解を求めたり)妥協点は考えにくいです。しかしはてな今週のお題が「好きなアイス」なので述べるのですが、チョコミン党員としてはやはり宇崎ちゃんと同じく「誰が何と言おうとチョコミントは美味しい」というを結論を否定や迫害に屈することなく繰り返し主張したいところです。

泡盛芋焼酎にはバニラアイスが合うのですが、チョコミン党拡大のために書くと、チョコミントアイスだとウィスキーがいちばん合うはずです。医学的・感染症対策的には完全に無意味なのですが、今夏もチョコミントアイスにウィスキーをかけて、口腔内と喉の冷却と消毒を同時にする予定です。