ボーっと生きてきた人間には怖い世の中

NHKで「チコちゃんに叱られる」という番組があります。チコちゃんに質問を投げかけられて知らないと「ボーっと生きてんじゃねえよ」と叱られる番組です。なんどか録画して視聴してたのですが、知らないことに関して「ボーっと生きてんじゃねえよ」と云われるのはしんどいな、と思いはじめました。

話はいつものように横に素っ飛びます。

とどめはタイムマシンについて扱った回で、現時点で未来には行けることの相対性理論を使った番組内の説明は同意できるものの過去については過去へ行く方法を見つけることができていない、ということで処理されていて、でもそれじゃあタイムマシンじゃないんじゃ?と思いつつ「タイムマシンはある」という解を維持していたのをみて、設問も解答もチコちゃんの中にあって設問や解に確たるものがなくチコちゃんがルールブックというか、うわあイヤだ…と感じてチコちゃんが苦手になっていまに至ります。よくわからない正解あてゲームをして外れたら「ボーっと生きてんじゃねえよ」と云われるのだから地獄だよなあ、と。芸能人じゃなくて一介の(勤務先は4階の)サラリーマンですからあの番組に呼ばれないのが幸いです。

話はさらに飛んで恐縮なのですが。

豚肉やワンタンの皮を買ってきて揚げて甘酢あんかけなどにするためにワンタンを自作することがありますがまず餃子は自作しません。つねに冷凍餃子のお世話になっています。最近になって冷凍餃子の利用が手抜き扱いになってるのを報道で知って餃子(というより料理)は手を抜くべきではないという思考が世の中にあるのだなあと思い知りました。

私は「ボーっと生きてんじゃねえよ」と「手抜き」のことがなんとなく関連してこの世の中を表しているような気がしていて、明示はされてないけど、人は常にパーフェクトを追うべき、というのが暗にあるような気が。「手抜き」という言葉の裏には「手を抜かない」、でもって「ボーっといきてんじゃねえよ」という言葉の裏には「ボーっとしないで生きる」世界があるはずです。たしかに本などを読んで多くのことを知ってボーっとしないで生きて、餃子を手作りして手抜きをしない食生活、というのはパーフェクトかもしれません。処理しなければならぬ業務を処理して退勤後の地下鉄の中で本も読まずに疲労からボーっとしながら帰宅して、買い置きの鯖味噌缶の鯖にキャベツとピーマン、しょうがを加えてゴマ油でいため、サバ味噌缶の汁に豆板醤に酒を加えて回鍋肉的鯖をでっちあげて手抜きするようなやつなのでその理想からほど遠く、立つ瀬がないのでいま座っていますって話がほんとズれた。

時間は有限で「ボーっとしないで生きる」ことや「手を抜かない」ことが難しい状況も誰にでもありえるはずです。でも、なんだろ、仕事以外でも常にパーフェクトを追わなければならない状況というか、ボーっと生きることや手を抜くことが良いこととされない世の中にいつの間にかなってるのって、ちょっと怖いよな、といまさら気が付きました。もっとも昔からそうだったのかもしれなくて、私がボーっと生きてたのかもしれなくてなかなか気が付かなかっただけかもしれぬのですが。