冬の野菜で楽しみなものが3つあります。
一つ目は関東ローカルかもしれないヤツガシラです。サトイモの一種というかサトイモが複数個癒着したようなものでほのかな甘みがあります。冬が旬で11月から12月にかけてしか出まわりません。小さいころからそれを醤油ベースのすまし汁の具にしていたのをたべていました。というか具がヤツガシラだけで、それに餅をつっこんだり、染みたヤツガシラをそのまま食べるのです。両親が死んでからもなんとか手に入れてずっと作っています。かたちが複雑なのと米のとぎ汁などでいっぺん茹でなくちゃなのでめんどくさいといえばめんどくさいうえ、ヤツガシラ自体は汁を相当吸いこんでしまうので躊躇なくだし汁や醤油や酒を入れる勇気が必要なのですが(染みたほうが美味しい)、なにものにも代えがたい魅力があって毎年作ります。雑煮ですから売っているわけでもなく、内製するしかありません。パブロフの犬ではありませんが冬の手前になると毎年そろそろかな、と欲しくなります。
ふたつ目は関東・北海道ローカルかもしれないうどです。昔住んでいた街ではあちこちで「うど」の栽培をしていました。かつて養蚕が盛んであったので桑畑の桑を貯蔵しておくムロとよばれる地下室があり、そこを利用しうどを栽培します。ムロの中で育ちますから白いです。年末ちょっと前くらいから春が出荷時期というか旬になります。東京では酢水にさらしたあと味噌汁や酢味噌などで喰うのです。少年時代はうどというのは冬から春に喰うものとずっと信じ込んでいました。童貞を失った相手が北海道出身だったのですが、うどは北海道では緑で夏前に山に採りに行くものであることを教えてもらいました。ありえないだろうけど地下のムロを突き破って木のようにぼこっぼこっと地面に出てくると困よなあと勝手に解釈してムダに育ったら困るやつのことをうどの大木という解釈を童貞を失うまでは保持していたのですが、育ち過ぎた山にあるうどは喰えないし木のように大きくなるけど木の代わりにもならない・役に立たない、ゆえに役に立たないことをうどの大木ということも呆れながら教えてもらっています。少年が男になるときって異性からいろんなことを学びますよねって…話がずれた。これもパブロフの犬ではありませんが、冬の手前になるとうどの酢味噌が欲しくなります。うどの酢味噌もどこでも売っているわけではないので内製するしかなく、うどが手に入り次第おそらく今冬も作ります。
不思議なものでおのれの中で美味しいと思うもののいくつかは食べ慣れた味で、うどといいヤツガシラといい必ずしもメジャではないもので、「おいしい」という記憶は、もしかしたら個人的な思い出や「旬に食べたらおいしい」とかの思い込みが何割か入ってるのかなあ、という気が。
三つめは淀大根です。数年前から淀大根を食べるようになりました。冬の京都で収穫される大根で別名聖護院大根ともいいます。やはりメジャではありませんが食べて一発で恋に落ちました。ラッキーなことに日本橋の高島屋で半分に切ったものが200円で手に入るようになったので、それでふろふき大根を作るようになりました。昆布を敷いた鍋に下茹でした大根(2人で300gぐらいとして)と出汁をひたひたに入れて煮て、ごま油でひき肉を炒めて味噌醤油みりんが大さじ1砂糖小さじ1くらいを加えて肉味噌を作り、器に移した充分に煮た大根の上に肉味噌をのっけるだけなのですが、青首と異なり淀大根でやると大根の甘味が(ここらへんたぶん個人差があるはずですが)好みというかちょうどいいのです。気色悪いこと書いておく上を通過する喰わせた相手がしっかり味をしめ、冬の手前に「そろそろあの大根そろそろ喰える?」という質問を貰ったとき、パブロフの犬化≒同じものを美味しいと思えることがなんとなくうれしかった記憶があります。はてなの今週のお題が「得意料理」で、京料理を勉強したわけではないので得意料理というとおこがましいのですがそれ以降、個人的にはふろふき淀大根は得意料理のひとつの位置づけです。やはり今年も作ります。
私はわりと劣等感を抱きやすい性格なのですけど、美味しいと思える料理を自作出来ることだけは救いであったり。おっさんのこうした自画自賛は気色悪いかもですが。