事前に準備したものの緊張する会合のようなものがあって、昨夜なかなか眠れなくて夜中にテレビをちょっと点けていました。そのときにやっていたのが引退した宮崎駿監督に密着したNHKスペシャルです。
三鷹にある美術館向けにずっと企画として温めていた短編アニメを作ろうとして今まで手描きでやっていたのを志を変えてCGの専門家を招いて作ろうとし、最初はその技術力に驚き高性能のおもちゃを手にしたような興奮を宮崎監督は表に出していたものの、途中から停滞します。毛虫のキャラクタがはじめて世界を観るシーンがあるのですがどうも納得がいかない場面があり、うまれて初めて世界を観る生き物はおどおどというか挙動不審というかすくなくとも機敏な動きはしないはず(と宮崎さんは想定していて)なのに出来上がった映像のなかの毛虫は宮崎さんには機敏に見えてしまい(さらに生き物の気配がなく)、やり直しを要求します。絵は絵コンテを渡してさらに言葉で指図すればある程度忠実に再現できますが、映像の演出は人がしなければならないわけで、そこで齟齬をきたすとうまくゆきません。もう少し細かく書くと「うまれて初めて世界を観る」ときのことに関し、絵コンテと言葉で指図をしてもそれで伝わらない部分があるわけで、おそらく「それくらいわかるであろう」という引き出しのある老大家と、CGは別として経験がそれほどない引き出しのないCGの精鋭部隊との差異がどうしても出てきてしまうのです。個人的には才能のぶつかり合いに思えてとても興味深かったのですが、当事者からすれば深刻な問題であったかもしれません。つまらない映画を作ることでパーになってしまう怖さを率直に語り、実際貧乏ゆすりがけっこうあって、思うようにいかない苛立ちが手に取るようにわかりました。途中から御年75の宮崎監督自身がぜったい触らなかったCG制作の画面とにらめっこして描きはじめ「毛虫がはじめて世界を観る」シーンについて指示を飛ばし、さらになかなか納得のいかなかった「毛虫がはじめて世界を観る」シーンについては全体的に生き物の気配がないことに気がついて、得体のしれない生き物を増やして生き物の気配を濃密にするように改変することで、CGなのだけどより不思議なそこにある世界を映し出すことに成功します。
その短編アニメとはまた別にあるIT企業の人たちが持ってきた実験的な痛覚のない人工知能で動きを学習させた生き物のCGのアニメを宮崎監督が見て不愉快になる場面が挿入されていました。こういうことができる、という実験とはいうものの、CGという技術を使って「なにをみせたいのか」というディレクションというか人の意思の有無でこうも違ってくるのか、という対比がこわかったです。
またけっこう興味深かったのは「自分が好きな映画はストーリーで好きになったのではない、ワンショットを見た瞬間にこれは素晴らしいって思うんだ」というもので、映画をほとんどみないのでわからないものの、たしかに演劇でも決め台詞のようなものがあるからこそ締まるものもあるわけで、宮崎監督の世界観を垣間見た気がして、なるほどなあと思いました。
最後に長編映画の企画書を持ち出してくるのですが、「あ、やっぱり」と思っちまったり。
眠れないで点けたテレビが、創作の現場の火花が散るような真剣勝負のようなものであったので、より眠れなくなっちまったのですが、でも想像以上に興味深かったです。