歌舞伎に『勧進帳』という演目があります。奥州へ向かう山伏一行に扮した義経と弁慶と、安宅関で義経一行を捕らえる命を受けた関守との攻防を物語にしたもので、比較的よくかけられる演目です。不粋なネタバレをもうすこしすると関守の役人は富樫といいその富樫は、勧進のために諸国を廻っていると述べた弁慶に「勧進目的を書いた勧進帳を持ってるはずだ、それを読み上げよ」と伝え、それを受けて弁慶は(ほんとはなにも書いていない)勧進帳を弁慶は読み上げます。
そのとき、つまり弁慶が白紙の勧進帳を読み上げているときの富樫の動作は、人によって異なります。
成田屋というか先代の團十郎丈は弁慶の様子を伺いつつ義経が本物かどうかを見極める、という解釈を述べていますが(『團十郎の歌舞伎案内』(十二代目市川團十郎・PHP文庫・2008・P198)、松嶋屋だと巻物を少し上から覗く動作です。物語の後半に富樫が非礼を詫びることを考慮すると辻褄があいわかりやすいのは猜疑心をぶつけた松嶋屋の解釈です。個人的にはお前バカだろということを書くとそれら解釈の違いが面白いよなあなどと思ってしまうのですが…ってそんな話をしたかったわけではなくて。歌舞伎の場合は人物の描き方が言葉に限らずそこらへんの動作でも表されます。
話はいつものように横にすっ飛びます。
コロナの第六波の頃に『その着せ替え人形は恋をする』(福田晋一)というアニメを視聴していてその後順調に(…順調に?)原作にも手を出しています。着せ恋はコスプレがしたい高校生の喜多川さんと同じクラスで裁縫が出来て人形職人を目指す五条くんが試行錯誤する物語で、今秋実写ドラマ化すると告知が出ていたので録画して視聴したのですが。
実写ドラマの中で喜多川さんは五条くんが両手で大事に抱え込むように見せたひな人形の頭の部分を手に取り、さらにはひな人形の顔面を下にして机の上に置いたシーンがありました。自己の中に大事なものがあるとき他人にも同じように大事なものがあると理解できればその動作はあり得ないはずで、もっと簡単に書けば、五条くんが大事にしているものを喜多川さんは尊重していないように見えます。喜多川さんがなにも考えていないギャルということであれば上記の動作は腑に落ちるのですが、五条くんの人形への愛がかすんでしまう程度に18禁のアダルトゲームに熱中しそのキャラと同じ格好がしたいというほどに大事なものを抱えています。ので、どうしてそうなるの?感が強いです。
歌舞伎の演出とテレビドラマの演出は違うといえばそれまでですが、動作にもそれなりの理由があってそこでも人物を描くという歌舞伎の舞台をみていた側からすると、着せ恋の実写化ドラマは単にあらすじだけを追ってるように感じられます。原作者が許可をしてるんだし別にそれでもいいじゃないか?と問われるとキツいのですが、個人的に「良いな」と思えた作品がぞんざいに扱われるのはいくらか悲しいものがあります。
さて、実写ドラマでは女装のコスプレをすることによって自信を持てた男子大学生がでてくる予定です。私は女装が出来ないのですが女装する男性の心理についてフィクションとはいえこの物語でいくらか理解できたのでそこだけはほんと丁寧に描いて欲しいのですけど、ムリかなあ…