「より短い」方向へ動く世界

それを読んだのは十代の頃だったのだけど野田秀樹さんが「ぴあ」のインタビューに答える形で、演劇において「時空を飛んだ」というセリフでは「時空なんて飛ばないって」という趣旨の発言をしていた記憶があります。時空を飛んだことをセリフ以外で表現する必要性があるわけで、妙に印象に残っています。その野田さんの時空の一件以降は、物語を読んでも人は簡単に時空を飛べないし同じように人は簡単に他人を好きにならないのでは、と思うようになっています。青ブタが私はスッと入れたのは私が説明が長くても本を読める体質で、藤沢を舞台にしながらもプチデビル編であればラプラスの悪魔を基にした現象の説明や描写が丁寧になされ私はそれが苦ではなかったのとなによりも主人公の咲太がかなりひねくれてるけど根はいいやつなので咲太が好かれるのもわかる、というストーリー展開だったせいもありますって青ブタの話をしたいわけではなくて。

いつものように話がすっ飛びます。

19日付日経新聞の文化面では2人の書き手に取材しつつネット小説に触れていたのですが、興味深かったのは書いてるほうも「なぜみんな異世界転生するのか」不思議に思う程度に異世界転生ものが流行で、興味深かったのは読者は小説が面白くなるまで待ってはくれなくて、そして1話当たりの文字数も7年前が5千文字から1万だったのがいまは千五百から3千程度になっていて、より面白くよりわかりやすくより短く、になってるのだそうで。

その記事を読んでいて私はポルノは興味あってもまじめに小説を書こうとは思っていないので(ポルノは下品にならないように直接的にブツを書かずにそれとなく暗示させながらの丁寧な描写が命だと思ってるので)無関係といえば無関係なのですが、以前ブログを書くときには「文章は短くした方が良い」というアドバイスを貰ったことを思い出しました。もちろんごらんのとおりそのアドバイスとは真反対の方向を向いています。人は読んだものに影響されると思ってて、私が読んできたものは説明や描写がきちんとあったせいもあります。そして繰り返しになりますが読んでる方と書く方に同質性があれば別としてそうでなかったら説明を省けば省くほどわけわかめの文章になりかねないからですって、てめえのことはともかくとして。

話が長くなって恐縮です。

もしかしたら世の中は「より短い」方向へ進んでいるのかもしれません。それがどういう事態を招くか、SFにして書いてみたい気もしますがそれはともかく、十年くらいして「魍魎の匣」を読んだことあるって言ったら変態扱いされる世の中になったらちょっといやだなあ、と。まさか、と思いつつ、あり得ないわけではないような。