コロナの第六波の頃に『その着せ替え人形は恋をする』(福田晋一)というアニメを視聴していてその後順調に(…順調に?)原作にも手を出しています。着せ恋はコスプレがしたい女子高生である喜多川さんと裁縫が出来て人形職人を目指す同級生の五条くんが試行錯誤する物語で、アニメは5巻までに相当し14巻は当然ながらその後の物語です。発売からかなり経つのですがその14巻を正月に読んでいました。
いつものように幾ばくかのネタバレをお許しください。雛人形が好きで人形職人を目指す五条くんは幼き日に幼馴染の女の子であるのんちゃんから雛人形が好きなことについて「気持ち悪い」と云われた過去を持ちます(1話)。五条くんはそれを決して忘れず引きずりつつ高校生活を送っていました。14巻では「気持ち悪い」と言い放った幼馴染のんちゃんが五条くんの前に現れ(104話)、もう幾ばくかのネタバレをお許しいただくと、再会したのんちゃんは本当は気持ち悪いと思っていなかった旨の発言をします(106話)。つまりわざと傷つけるために言い放った本心ではない言葉に五条くんはずっととらわれていたことが明らかになります。のんちゃんを前にした五条くんがどうしたか?の物語の部分は本作のキモだと思うので、詳細はぜひお読みいただきたいです。
話はいつものように横にすっ飛びます。
猫は思ったことと違う表情が出来ないといいますが人は思ったことと違う表情が出来るうえ言葉をもち、さらに厄介なことに思ったことを隠しつつあいまいにして意思表示が出来ます。そして誰もが本心を言葉にして意思表示するとはかぎりません。言語を持ちつつも実のところはなにがほんとかわからない世界に人間は生きています。
着せ恋に話を戻すと、13巻までの間に五条くんは喜多川さんがキレイだと思いつつ(眠りに落ちる間際に口走ったことはあって)もダイレクトに言葉に載せて意思表示したことはありませんでした。そして五条くんに恋心を抱く喜多川さんも失敗が怖くてその意思表示を言葉にしていません。誰もが思ってることと違う意思表示ができ、もしくは、本心を隠して意思表示をすることができるからには、本心と異なることを云ったのんちゃんを誰が責めることができるのか、というと私はちょっとこたえがありません…って私のことは横に置いておくとして。
もちろん喜多川さんも出てくるのですがその喜多川さんを含め、14巻は人間の意思表示の厄介さ微妙さをフィクションに巧く載せている気がしてならず、擬音語を使った頭の悪い感想を書くと読みすすめている最中は度の高い酒をあおったようなヒリヒリした感覚がありました。
以下、くだらないことを。
無名である喜多川さんのコスプレをめぐって氏名を含め正体を明らかにしようとする雑誌の編集者が14巻の最後に出て来ます。その編集者は(やはり過去に女性に気持ち悪いといわれた)女装する男子大学生のあまねさんが好みで、そのあまねさんの巨乳の女装の写真を眺めながら「よしよしされたい」という本心というか願望が本巻では出て来ます。それを読んで個人的なことを書くとスラングでいうところのcringeworthyに近い気持ち悪さを感じていました。14巻で五条くんの抱える「気持ち悪い」の問題はいったんカタがつくのですが、気持ち悪さとはなんなのか、本心を明らかにすることの是非などを、読んでる方に再度投げかけているような気がしてならず、ちょっと唸らされています。
個人的に「気持ち悪い」というのと意思表示の問題に引っかかったのでそれを中心に書いてきたのですが、なんだかまとまりのない文章になってしまったのと、そもそもマンガの感想の書き方というのがわからないのでこのへんで。