『その着せ替え人形は恋をする』13巻を読んで

第六波の頃に『その着せ替え人形は恋をする』(福田晋一)というアニメを視聴していてその後順調に(…順調に?)原作にも手を出しています。着せ恋はコスプレがしたい喜多川さんと裁縫が出来て人形職人を目指す五条くんが試行錯誤する物語で、アニメは5巻までに相当し13巻は当然ながらその後の物語です。

いつものように幾ばくかのネタバレをお許しください。前巻までは喜多川さんが着たい!と思うキャラクタの衣装を五条くんが縫製し化粧を施していました。ところが13巻96話では五条くんが喜多川さんに頭を下げ、五条くんのわがままを喜多川さんが受容する描写があり、2人の関係に微妙な変化があらわれます。この五条くんのわがままの詳細はキモのひとつだと思うので是非本書をお読みいただくとして。

もう幾ばくかのネタバレを許し頂きたいのですが13巻に伏流水のように流れるのは「見ること」と「視線の支配」です。

まず後者について。幼き日に五条くんは(人形職人である)五条くんのおじいちゃんが作った人形にくぎ付けになった経験があり、衣裳や化粧で人を釘付けにする技術≒人の視線を支配する技術について五条くんは無自覚でありつつも理解していて(なので衣裳にほれ込んだジュジュ様にストーカーされた経験もあるのですがそれは横に置いておくとして)、今回も人形で培った知識(97話)と技術を化粧や衣装に注ぎ込みます。話がそれて恐縮なのですが歌舞伎には人間的な動きを封じて人形のように見せるテクニックの人形振りという演出がありそのとき役者は比較的無表情で、しかしそれが視ている側を惹きつけます。話を元に戻すと97話では無表情に微笑むことを喜多川さんに要求し五条くんのその要求はその人形振りに近いのですが喜多川さんも難なくそれをクリアし、2人の合わせ技で他者の「視線の支配」に成功します。

でもなんですが。

他者の「視線の支配」に成功した割に五条くんは浮かぬ顔の描写で(99話100話)、喜多川さんも人前以外では同じです(99話100話)。「見ること」に付随するのですが他者の視線の支配に成功したとしてもその時点では結果的に喜多川さんの視界には五条くんは居らず、五条くんの視界には喜多川さんが居なかったからでは…と明示はないもののそう思わせる描写で、とても些細なことなのですがマンガにしかできないその描写に唸らされています。

服を着るという行為の中に「見てもらう」という要素が・ものを作ったときに「喜んでもらう」という要素が、それぞれあってもおかしくないはずなのですが、13巻を巻末まで読んでいて、着るとか作るとかの行為について本来それらに他者の視線は不要なのではないか?ということを考えちまっています。そんなこと考えるの少数派かもしれません。

ついでに書いておくと13巻はSNSが関係するのですが、SNSの多数のいいねがあったとしても満たされないものがある、ということがフィクションに巧く載せられていました。13巻はなんだか社会批評的な、いくらかシリアスな方向へちょっとだけ向かっている気が。あととってつけたようなことを書くと「どうなるのだろう?」と考えながらページをめくり巻末までぐいぐい引き込まれてしまっています。

さて最後にくだらないことを。

巻末に五条家の食卓に料理として五条くんの作った筑前煮が出てきます。その五条家の食卓の風景に喜多川さんの父もでてくるのですが(なぜそうなったかの詳細は本書をお読みください)、筑前煮を口にして娘を猛烈に羨ましがる描写があります。その筑前煮の人参に飾り包丁がしてあって、そんなことここしばらくしてなかったので妙に敗北感があり次作るときは五条くんを見習おうと思いました…って、このまんまだとマンガの感想から脱線しそうな気がするのでこのへんで。