「朝腹の茶漬け」は何杯で腹の足しになるのか問題(もしくは『偉人メシ伝』を読んで)

いつものようにくだらないことを書きます。

歌舞伎の演目に沼津というのがあってどういう演目かは歌舞伎をご覧いただくとして、登場人物が荷物を背負うときに「これくらい、朝腹の茶がゆでござりますわ」と軽く啖呵を切る場面があります。初見時に意味がわからなくて帰宅してからあとで辞書を引くと「朝腹の茶漬け」という項目があって、朝に茶漬けを食べても腹の足しにならぬ、というところから、まったく堪えない・どってことない、という意味があることを知りました。何杯か食べたら腹の足しにならないなんてことはないんじゃないの?と疑問はあったのですが墓場で運動会はしないけどしけんもなんにもない!身分でその疑問を解決する場所もチャンスもないので放置しています。

そののち京都の杉本家という千葉三越の前身企業を経営していた元呉服商のドキュメントをNHKBSで眺めていたとき歳中覚という書物が出てきて、その書物にしたがって杉本家では特別な日を除き身分の分け隔てなく朝晩は茶粥もしくは具の無いお茶漬けに香の物であったことを紹介していました。ああほんとに茶漬けが朝ご飯なんだ…と知ったのですが、あまり腹の足しにならない状態の朝腹の茶漬けで労働させていたとは考えにくく、じゃあ何杯くらいお代わりしたら腹の足しになるのだろうか?とか、さらにくだらないことを今度は疑問に思っていました。もちろんその疑問もしけんもなんにもない!身分なので放置しています。そもそもどこで訊いていいのかわからないからです。

個人的なことを書くと京都のある宿の朝食会場でお茶漬けがお代わり自由であったのを奇貨として2椀ほどたべたのですがそれでお腹いっぱいになっています。このときはお茶漬け以外にも焼き鮭とか千枚漬けとかも食べてるので参考にはならないのですが。

くだらねえ…と思いつつもここで

お題「この前読んだ本」

を引っ張ってさらに続けます。

『偉人メシ伝』(真山知幸・笠間書院・2022)という和洋問わずに歴史に名を残した人がなにを食べていたかの記録を追っている本を正月にチラっと眺めていました。そのなかに正岡子規がなにを食べたかが仰臥漫録から転載されていました。三食の内訳は

○朝-粥四椀、はぜの佃煮、梅干(砂糖漬け)

○昼-粥四椀、鰹の刺身一人前、南瓜一皿、佃煮

○夕-奈良茶飯四椀、なまり節(煮て少し生にても)、茄子一皿

P116

で、さらに2時ごろにココアを混ぜた牛乳1合飲んでいるほか菓子パンとせんべいをあわせて10個食べ、さらに梨を昼に2個、夕食後に1個食べています。ただこれだけ食べると吐きかえしていたようで、その記録もあります。別の日には

○朝-ぬく飯三椀、佃煮、なら漬け

○昼-粥三椀、焼鴫3羽、キャベツ、なら漬け、梨一つ、ぶどう

○間食-牛乳(ココア入り)、菓子パン大小数個、塩煎餅

○晩-与平鮓2つ3つ、粥2椀、まぐろのさしみ、煮茄子、なら漬け、ぶどう一房

P116から117

を食べ、さらに寝る前にリンゴ2切れと飴湯です。この日は吐かずに済んだのかどうかはわかりません。でもって脊椎カリエスの闘病中であったことを考えると食べることが楽しみのひとつでもあったはずで、ので、かなり食べていたのかな感が強いです。

話を私のくだらない疑問に戻すと、3椀から4椀さらに他の物を食べて子規は吐いてるいるので、粥と茶漬けを同じくらい腹にたまると仮定すると、朝腹の茶漬けとはいえどももしかしたら3椀くらいで腹いっぱいになるのかなあ、と。でも粥と茶漬けが同じではない、とすると説得力がなくなるので、あまり参考にならないかもしれないのですが。

さて上記の本は俳人に限らず政治家や哲学者などの食べたものを記載してるのですが、半分好奇心で書かれてるような覗き見的な気軽な本で、読めば時間は消費しますがあまり実用的な本ではありません。

お茶漬けついでに書いておくと子規の他に、ご飯の上にまんじゅうを四つに割ったものを載せて煎茶をかけていた森鴎外が紹介されていました(P76)。興味深いのは鴎外先生はそのまんじゅうのお茶漬けの他、干し柿を割いてお茶漬けに入れていたようで(P77)、煎茶のお茶うけに干し柿というのはよくある組合せですからもしかしたらアリかなあ、と。