開高健記念館ベトナム展

いまはもう湘南電車とは言わずに湘南新宿ライン上野東京ラインっていうようになっちまいましたが、上野から東海道線で1時間強くらいのところに茅ヶ崎というところがあります。午後、ひまになってしまったので住んでるまちに戻らずにその茅ヶ崎

駅から1キロくらい離れたところにあるのがラチエン通で、ラチエン通沿いあるのが開高健記念館です。念のために説明しておくと開高さんが最後に住んでいたのが茅ヶ崎で、自宅跡が記念館になっています。個人的なことを書いておくと10代から20代にかけて読んでいて、けっこう影響を受けたと自覚してる作家です。

前に一度訪問してるのですが、再度訪問しました。開高さんは「ベトナム戦記」を含めベトナムに関する著作がいくつかあり、今回そのベトナムに関する展示をやっていて寄りました。行って知ったのですが最初のベトナム行きは、もともと連載を持っていた雑誌から連載が好評だったのでご褒美としてどこか行きたいところがあるかと尋ねられベトナム行きを希望し、それがノンフィクションとしての「ベトナム戦記」になります。ベトナム行きが後年「輝ける闇」「夏の闇」「飽満の種子」などに結実します。

写真オッケイだったので、ベトナムに持って行った携行品を写しました。日章旗にはベトナム語で「ワレワレは日本人デス」「タスケテ頂戴」と書いてあります。ベトナムに渡る前に日本に留学している学生に書いてもらい、いざとなったら(ヴェトコンに対して)それを見せるつもりで米軍に従軍していました(そこで九死に一生を得る経験をする)。日章旗の右、小さい鉄の箱はライターで弾よけのお守りを兼ねていて「われ、死の影の谷を歩むとも恐れるまじ。なぜってその谷のド畜生野郎だからよ」と英文で書いてあります。私はこの言葉が好きでメモしてあって、神経すり減らすようなしんどい協議のときなどにこのメモを直前に読んでいましたっててめえのことはともかく。
夏の闇の原稿のコピーがあったのですが、資料を見学して作品を思い返す・振り返ってみると、死というものが人に与える影響というのをなんとなく考えちまいました。死というのを意識しはじめると人は性や遊ぶこと、食などにおのれの存在を確認したがるようになるのかもしれません。そんなふうに考えるのは死というものをおのれがなんとなく意識するようになっちまったせいもあります。文学の畑の人間ではありませんから論文を書くわけでもなく小説を書くわけでもなく、そんなことを考えてもなんの役にも立ちませんが。ここらへん文学に関しててめえのことを書くと第三者にわかるように言語化できず、意味不明になっちまうのですが。
でもって思いつきで茅ヶ崎までは遠かったのですが、興味深く見学しました。

記念館をでて、ラチエン通を南下します。

南端にあるのがパシフィックパーク。

パシフィックパークのそばの通路のさきにエボシ岩がみえるのですが、写すと小さくて見えないっすね。やはり。

海を観て、ちゃんとはわからないなりにわかることをひとつして帰ろうと思って、海水を舐めることにしました。ちゃんとしょっぱかったです。