「国際紛争を解決する手段として」

前にも書いたことなのですが海路に接触すれば爆発する機雷をまくことを戦争時にはすることがあります。第二次大戦中に米軍が瀬戸内や関門海峡に大量に撒いていて、なんでそんなことをしたかといえば海上交通をずたずたにして補給路を断つためです。海軍の船に限らず商船もやられちまうので問題で、機雷の除去は終戦後から旧海軍→海自がずっとやってた任務です。第二次大戦中にまいたものはすべて除去できてるわけではありません。いまでも瀬戸内や関門海峡でたまーに見つかって海自の掃海部隊のみなさんが除去しています。その設備を持っていられたのは9条で戦争・武力を放棄することを明言しつつも憲法前文で平和的生存権を確認されててほかに手段がないかぎりは自衛のための必要最小限度の実力を保持することまで禁止したものではない、という解釈を根底にしています。自国の領海内の海上交通を守るための実力までは捨てていません。でもって除去の技術の蓄積があるので、湾岸戦争のあとに機雷除去のために海自の掃海部隊は中東まで派遣されています。それがなぜ可能だったかといえば、「現に戦闘が行われておらず、活動の期間を通じて戦闘行為が行われることがないと認められる」地域への派遣であれば「(憲法の禁ずる)国としての武力行使を行う」ことがないので違憲にならない、という解釈をしたからです。
横須賀や大湊に行くと自衛隊の船がありますが、自衛隊の船は軍艦ではありません。護衛艦です。この国では憲法9条で戦争を放棄しそのための武力行使ができないことになっていますが、国民の生命・財産が外部からの武力攻撃によって侵害される状況となったときには、国家固有の自衛権の行使として、それを排除するために必要最小限度の実力の行使をすることを否定するものではないので・最低限の自衛権までは否定されてないので国土や領海を護衛する船ということで護衛艦です。横須賀から現在護衛艦ソマリア沖へ行っています。このソマリア沖への自衛隊の派遣は麻生さんの時代から6年以上続いています。ソマリア沖は神奈川県ではありません。しかしそこに日本人乗組員がいたり日本向け物資を運んでいた船がある、ということでソマリア沖に出没する海賊から商船等を護衛する目的でのことです。現在は国籍を問うていません。日系海運会社以外の船も護ります。それが可能なのは海賊に関しての対処法を作ったのもあるんすが、9条が「国際紛争を解決する手段として」は戦争と武力による威嚇又は武力の行使を禁じてるもののソマリア沖の海賊は国家ではないし海賊の取締りが国際紛争(国家間紛争)でないからです。でもっていまのソマリア沖での作戦に批判はないわけではありません。ソマリア沖は日本商船・日本向け物資を運んだ船が航行するとはいえ最低限の自衛権の行使ができる範囲かというときわどい・怪しいと思っています。でもソマリア沖の活動まではきわどいけど理屈の上ではまだわからないでもないのです。くりかえしますが相手は海賊です。国家ではありません。
いまの憲法の条文を読む限り「国際紛争を解決する手段としての武力行使」はどう考えてもNGです。今国会に提出されたいわゆる「安全保障法制」の各改正法律案は通過すれば「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある」とき「武力の行使」を行うことが可能になる、ということになりそうですが、私は法学部卒でも実質あほうがくぶ卒なせいもあるのですが、やはり「え?それはできないんじゃないの」というのが抜けないのです。どこをどう読んでも国際紛争・国家間紛争状態の地域においての武力の行使は、憲法9条の範囲を超えるものであり、許されないと考えるのが自然のはずです。具体例に落としこめば、ソマリア沖に出没する海賊ではなく国家であるなら、そこでの武力行使はムリであると考えるのが妥当なのではないかと思うです。また日本の領海ではない国際紛争が起きている地域で仮に機雷除去等掃海活動をしたいとしても(おそらくそれは商船等からすればとても歓迎されることかもしれないのですが)、戦闘状況下での機雷撒布が紛争下の武力の行使であるのならそれを撤去するのも武力の行使になっちまうので、どう考えてもNGのはずです。もしそのようなこと、たとえば日本の領海外で実際に国家間紛争が行われてる地域での機雷除去等自衛隊武力行使を行うようにしたいのならば憲法改正によるべきでしょう。
必要としてるからという理由で出してしまえば確かに楽なんすが、手続きを踏まないと必ずしっぺ返しを食らいます。いままでずっとコンドームをつけていた男が「今出したいからきょうからなまで出していい?」というくらい信用ならねえとおもいませんかというか怒られそうなたとえなので真面目に書くと民主主義国家である以上、ねばり強く国内を説得し、憲法改正をしてからだすべきで、それをしないでやっちまうと、ああこの国はまともではない信用ならねえちゃらんぽらんなやつらなのか、という誤ったシグナルを与えちまうのではないかなあ、と。なにを失いのが一番怖いかって、信用です。発する言葉に信用ならねえから・不信感を持つから、人間って武力に頼ろうとするのではないかなあ、と。
あまり政治的なことを書くつもりはなかったのだけど、ここらへんで。