読書の秋

他の人は体験してるけど自分は体験してない、ということにどこか引っ掛かりを感じることがあったりします。いちばん引っ掛かりを感じたのは童貞を失ったときです。ああ身の回りの何人かはこの経験を知っていたのか、という事実が、そいつらにかなわないかもしれないという出遅れた感を感じさせました。もちろんそんなことを比較してもしょうがありません。処女のようなものを失うっていう経験もしてるのですが、ずっとこれも以前から知っていた人にはかなわないかもしれない、というのがあったりします。なにがかなわないか・ほんとにかなわないかどうかはわかりません。つか、経験人数とか経験回数より大事なのは一発入魂とか質だろ、っていわれればそうかもしれません。でもなんだろ、こころの奥底で不戦敗感・変な劣等感があったりします。じゃあたくさんの経験を積んでたらいいのか、っていうとそうとも言い切れないのですけども。もちろんえっちなことには限りません。働きながら大学を出て、社会人になったら教養より労働を優先してますから、知らないことはいっぱいあります。時間も限られてましたから本はたくさん読んでません。おのれの経験をへてから過去に読んだ本の一部や全部が気になったりすればその本を再読しちまうこともあり(シェイクスピアっておっかねえっすよ)、既読の本の数は稼げてません。そこに劣等感を感じたりすることがあります。
でもって本について語ろうとするとこのての不戦敗感・劣等感にたまにすとん、と陥ることがあります。
知らないことがあったら知ればいい・足らないことがあったら足せばいい、という答えがあります。
でも時間は有限です。
不戦敗感・劣等感が変な方向に発酵しちまってるので、たくさん本を読んだからといってそれがプラスになるのだろうか、本を読まないこと・知らないことはそれはほんとに悪いことなのだろうか、と思うことがあります。手に持てないくらいの鉱石をすでに持ってるのにさらに貪欲に探さないのはバカである、みたいなものへの反発かもしれません。
そんなふうにひねくれちまってるので、読書の秋ってのをみかけると、なんで読書するのに秋なんだろうっていう素朴な疑問とともに、本を読んでどうするんだろうっていう(お前はバカかっていわれそうな)根源的な疑問があります。
私はそこに脳内で意味を成すような鉱石なようなものを見つけることがあって、それを探しているのですけども。でもそんなには要らないかなってのがあるので、あんまり本を読みはしないのですが。