色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」という長い名前の本があります。著者は村上春樹さんで、詳細は読んでいただくとして、8月に(なぜか)海外で村上さんは「色彩を持たないt(ry」について「仲間外れにされた経験ってのと、傷ついた気持ちは長く残る、それについて書きたかった」(8月25日の毎日新聞夕刊)って述べてて、なんとなく腑に落ちたことがあります。傷ついた気持ちってのを含め、生きていくうえでしんどいというか受け入れがたい現実をどうやって向き合うか、ってのは私は興味ある話なので、たとえそれがフィクションのせて語ることに意味があることと思えたのです。もちろん私の脳内でしか意味を持たないかもしれません。この手のことが普遍性があるか・文学かどうか・文学っていえるかどうかは門外漢だからわかりませんが。
ノーベル文学賞の発表があってここ数年下馬評には必ず村上さんがあがり、結果は去年や一昨年と同じであったものの、でもあまり気にしないで創作を続けてほしいなあ、などと良い読者ではない(村上さんの文章自体が苦手なのに「多崎つくると」を読んでしまった)サラリーマンは思っちまうのですけども。