吉良上野介問題

はてなのお題の自己紹介の話を引っ張ります。
唐突に忠臣蔵の話をします。浅野内匠頭がなぜ吉良上野介を斬ったのか諸説あるんすが、そのうちのひとつに浅野家が担当した増上寺の畳替えの話があります。畳について吉良上野介は取り替える必要性については浅野家に指示しなかったのだけど浅野の家臣が別の大名の持ち場に行くとそこの畳はきれいに取り替えてあり、あわてて職人を呼び寄せて浅野家の担当分も取り替えて面目を保ち、浅野内匠頭はそこらへんを含めて吉良上野介に対して頭にきたってことらしいのですが、なぜ吉良上野介はそういう態度をとったのか、ってのがずっと気になっていました。
しかし大人になってみて、知識を持つ人というのはときとして同程度の知識を持たない人・同質ではない人を、同程度にみない・軽く扱う・意地悪をすることもある、というのを知ってしまうと、「もしかして吉良上野介はそれをやっちまっやのでは?」と思うようになりました。ネットスラングでいえば「情弱wwwww」って嗤うようなところでしょうか(情弱wwwwという言葉には情報を共有できない同質ではない人間に対する蔑みがある、はず)。かたちは異なるもののここ数年でよりそのことを意識したのは「この小説家の面白さがわからないなんてわからない」というニュアンスのことを書く人がいてはてなで読んで不快感を覚えた経験です。創作に触れてなにがどう面白いのかは人によっては異なるはずなんだけどそれには断定があるのみであってさして説明がなく、同じ読書体験をして同じ感想をもたないと意図することがわからない意地悪で、なにがしかの知識を得ている人が同質ではない人に意地悪する構造・実例に思えて仕方なく、腑に落ちたのです。以降、その人を反面教師としておのれも気を付けるようなりました。「ああいうふうにはならんとこ」という意味においてです。できてるかどうかは別として。
これらのことが自己紹介になるのかわからぬのですがここ数年の「吉良上野介的態度に対する反発」「吉良上野介にならないように」というおのれのけっこうコアな部分です。リアルでもネットでもです。別に反面教師となった人に恨みがあるわけではありません。松の廊下を歩くこともありませんし。勉強になったなあ、と思っています。
でもまだ免疫はできてなくてどこか知識をひけらかす人というのに対してこの人は吉良上野介かもしれないという根強い苦手意識があったり。
相変わらず具体的な自己紹介にならず「どこが自己紹介やねん!」と怒られそうなのでここらへんで。