真面目なエントリをすると肩が凝るので不真面目なこと書きます。えっと、ゲイの人の場合必要に応じて尻の毛やデリケートゾーンを剃ることがあります。誰もがすべてそれをやってるわけではないのですが、主に毛シラミ対策(不特定多数と関係を持つ場合相手が悪いと毛シラミがうつる)とか、毛がないほうが口に入らないとかいろいろと都合がいいし絡まないで済むっていう理由からです。そういうことを知らなかった時期に何も対策とらずに遊んでて、そのときそういう生活の智恵?を教えてもらいました。ゲイの人の剃毛にはそれなりに実利的な理屈があります。
逆に感覚的なものが女性の剃毛の感覚なんかな、と思います。大学生のときある女の子が別の女の子の腕の毛の処理についてこっそり指摘してて、女の人ってそんなとこまでチェックするのか、と男子校出身だったのでびびった記憶もあります。つか、この国、毛に敏感で、極端に排除してる気がするんすけどね。きれいなお姉さんは好きですか?っていう脱毛器具のCMありましたけど、あれ、どうみてもキレイ≒毛が無いってことですし。でもなんで毛が無い≒キレイなんだろ。管理してる≒キレイなんすかね。


ちょっとだけ真面目なことを書くと曹洞宗には浄髪の偈というのがあります。「剃除鬚髪、当願衆生、永離煩悩、究竟寂滅(思い出せなかったので語句はさすがに調べた)」っていうのですが髪を剃れば煩悩を永く離れて、って意味(のはず)です。剃っても生えてくる毛を煩悩に見立てるっていうかつまるところ髪や毛っていうのはどこか煩悩とつながってる思想が仏教にはあるんじゃないかとおもう。
で、毛≒煩悩って言う仏教思想から毛を切らなきゃ隠さなきゃ、ってことがどこか日本人の意識の根底にあるような気がしてならないのです。
さらに、毛に覆われてる部分っていうのは生々しい性器があったりすることもありますから、毛というのは生々しさっていうのを象徴するところがあるのではないか、とも思う。


今年の初めにもめた東北の祭りの男の人のポスタのはなしなんすけど、あれは切ったり隠すべき「毛」がみえることや、毛がもつ生々しさに対する批判なんじゃ、なんてうっすら思ってました。隠すべきものと思ってる人や管理されてない生々しいのが苦手な人からすると毛は排除すべき存在なんだろな、と思うのです。にもかかわらずポスタは毛が多い人が被写体だったゆえに不快感を示す人が多かったのではないかと。


個人的にはエロいほうだと思いつつ必ずしもエロいものに精通してるわけではないのでなんともいえませんが、一般成人男子向けであろうと一般成人女性向けであろうとゲイむけであろうとえっちぃ本のハダカっていうのはウリとしてたいてい毛があまりなくってキレイです。で、そのハダカに色気を感じ、興奮することが多いはずです。
でも必ずしもキレイなハダカだけに興奮するわけではないっすよね。毛があるハダカでも興奮し発情する。人を発情にみちびくものって一体なんなんでしょう。なんとなく色気ってものすごく複雑な一筋縄ではいかないものなんだろうなってのは判るものの答えはでません。