がんの不条理

けっこうふざけたことを書いていますが私も人の子で、両親が居ました。母は乳がんでした。「がん」の進行具合にもよりますが、「がん」は抗がん剤を投与する場合があります。抗がん剤には副作用があることがあるのですが、抗がん剤の副作用のうち制吐剤がいまはあるので吐き気はコントロールできるものの、周囲や本人にとってとてもつらいことは味覚の変化まではコントロールがしにくい点です。喰えないことから来る体力の低下もそうなのですが本人がかつて美味しかったと思えるものがダメになってゆくのでモチベーションの維持がけっこう大変です(日向夏や桃や洋梨がgood!とわかってからはそれらを補助食材として金に糸目をつけずに買っていた)。でもって「がん」が厄介なのは本人が生きる意欲があってなおかつがんばっても場合によってはそれが結果に比例しない不条理な側面があるところです。よくある事例としてAという抗がん剤を投与しながら腫瘍マーカーやCTとにらめっこしながら経過観察をして効果がないとなるとBという別の抗がん剤にスイッチしたり、なんてことをしてゆきます。そんなふうに複数の選択肢がありえますが寛解の状態にはならずにその選択肢を全部使い果たすこともあります。その状態に直面したときも正直けっこうつらかったのですが、せめてもの救いは痛みがほとんどなかったことと、髄膜に転移して私が誰だかわからなくなる状態に陥る前に「向こうには自分にやさしくしてくれた人がいっぱいいるから怖くはない」といっていたことです(ただしこれを云われたときは涙腺が崩壊した)。
そういう経験があったので亡くなった小林麻央さんに関するがんの病状の報道があってから寛解の状態に持ってゆくのはゼロではないけど難しいのではないかと予測していました。以降、人非人的なことを書くと予測したのが当たるのがいやで報道を極力避けていました。朝にテレビでやっていたらチャンネルを変えるとかです。残念ながら予測は当たってしまい、海老蔵丈の報告をテレビで聞きながら「がんって不条理だよなあ」と、改めて思っちまったのですが。