魔法

ずいぶん前に「人生がときめく片づけの魔法」って本がありました。「人生がときめく」というのはある種の脅し文句で「ときめかなくてもいいんですか?」っていうとき、別にときめかなくてもいいのだけど、言外にその選択肢をとらないことをよくない選択に思わせるような質問になり得ちまうからです。ときめくというのはえっちのときの絶頂と同じで本来疲れることで、そんなもの人生でしょっちゅうあったらつかれちまうわけでときめかないほうが楽です。でもって片づけをしたことで時間が節約できたり目的物が見つけやすくなったり、見た目スッキリして満足、ってのはわかるのですが、魔法っていうのはいずれ解けます。魔法なんて使わずに地道に片づけに取り組んだ方がなんぼかましです。もちろんベストセラーになった片づけの本は全然読んでません。丸善で見かけたもののなにを考えてるのだろうと思って手に取りませんでした。したがって「魔法」の類にはかかったこともありません。
いや、あるか。
前にも書いたことがあるのですがいまはもう流通が禁止されてる媚薬のようなものを特定の相手が居なかった時に誘われて過去につかったことがあります。そのときはそれは別に違法でもなんともなかったので使用したのですが、指の腹で脇腹をつつーっとやられるくらいで声が漏れる程度に身体が敏感になります。魔法みたいだと感じたのですが、数回で完全に止めてます。これをいうと笑われそうですが理由は堅くならなくなるというのをきいたせいもあります(どこがというのは別として)。実感として魔法にしてもなんにしても、効果が切れたら現実に戻るわけで、そのときのことはフェイクでしかないです。たとえこの世では味わえない天国を見せてもらったとしても、どれだけ意味があるのかわかりません。現実を生きるのが長いのならば。
はてな今週のお題が「もしも魔法が使えたら」なのですが、個人的には「魔法」にそれほど魅力がありません。
最近ウエットティシュを一枚ずつ取るように作ってあるOPENのところから開封しようとせず、一枚ずつ入ってるカントリーマームを取り出すのと同じように一気にギザギザのところからびりっとやってしまったあとに正気に戻ったことがありました。もちろんすべてをつかうつもりはなかったのです。そういうとき原状回復というか「ごめん、いまのナシ」にする魔法があれば良いなあ、なんてことならば考えちまうのですが。