転移

「文学を殺したのはだあれ?私だわ、と大江健三郎はいった」という文章が、私の大学生時代にかかれてます。私はバイト先で写真のセクションにいたのですが隣が図書資料関係でそこにあるものは好き勝手読んでいいよ、という環境だったので、幸か不幸か私はあほうがくぶに進んだものの文学にまったく興味がなかったわけではなかったので偶然あった文学雑誌を余裕のある時に開き、その文章を読んでます。大江健三郎さんがノーベル文学賞を受賞し、(一時的に)断筆した直後です。書いたのは中島梓という、評論家です。別名、栗本薫ともいい、SF・ミステリ・BL作家としても有名な人でした。2009年に再発したがんで死去しています。大江さんが文学賞を貰った、ということはめでたいことなのかな、っていう認識しかなたった私にとって中島さんの文章はちょっと衝撃的な文章でした。大江さんは光さんが自分で音楽を作るようになって、光さんと世界をつなぐ役割をしてやろう、っていう自分の文学の目的を必要としなくなります。で、(いったん)断筆します。それを傍からみてた中島さんはその意味をちゃんとうけとります。でもって「文学は、水頭症の子供を抱えるひとりの文学者を救わなかった。文学者を救ったのは音楽だった」ってことに危機感を持ちました。中島・栗本さん自身が「文学は飢えた子供の前で有効かどうか・救えるかどうか」というテーマを不幸にもどこか意識してる・もってしまってる人なので、そのテーマは一大事だったはずです。で、中島さんは大江さんが証明しちまった「文学は文学者ひとり救えなかった」という事態に危機感を持ち、「文学をころしたのはだあれ?私だわ、と大江健三郎はいった」と書いたわけです。私は文学はわかりません。でも、中島さんの危機感はなんだかすごく、皮膚感覚としてよく判ったし、影響をうけています。ちゃんとかくと、物語ってのは、飢えた子供ではないものの受験勉強期の私にとって疲れを癒す・しんどさをごまかす・現実を忘れさすための麻薬でした。創作物の麻薬性は文学とか音楽とかのひとつの効用なんじゃね?って思ってて、それが文学とは言わないまでも創作物の存在理由の一つなんではないかと思っているんすけどそれはともかく。文学とか物語はなんなのか、ということを考えるきっかけは、中島さんにあります。
文学とは関係あるようでないような中島さんの本で以前読んでいたのが「アマゾネスのように」という乳がん闘病記で、私の死んだ母親は乳がんであったのですが、術前に事前に副作用などを含め、どういうことが起きるか予習しておき、わりと役に立ってます。最近、晩年の「転移」という闘病記が出版されていることを知りちょっと影響をうけた中島さんの最期にちゃんと向き合おうと考えて読んでいました。「転移」という表題どおり、乳がんの術後16年後にすい臓がんになりさらに肝臓に転移し、昏睡状態にいたるまでの記録です。抗がん剤の投与期間と休薬期間の体力のこと、いつまで生きていられるかということや、生きてる気力が萎えてるときとそうでないときの落差、食べ物がたべれなくなってることに苦労したことなどが記述されています。ここらへん手に取るように理解できるのでちょっとしんどかったのですが。医師からの余命宣告後も「これからこそかかなくてはならない」と宣言しつつ、叶わず文章になっていない昏睡状態直前の手書きのものも印刷されていて、最後まで表現者であろうとしたのだな、というのが理解できました。我が身を振り返ることもけっこう割かれていて(どうも)御母堂との関係が一筋縄ではいかなかったようでそれ踏まえて純文学を書く約束をしていたらしいのですがそれは叶わず、御母堂との関係が「割り切れない」ものや「不条理」が残っていつつ、それが「私を私であらしめた」一つの要因、と分析していて、個人的に不条理とどう向き合えばいいのだろうということを考えていたのでそこらへんの分析が、一つの解として、腑に落ちてます。
どうも経済的な理由もあったようなのですが抗がん剤投与中も執筆は続けていて、唸ってしまったのは「書いていて満ち足りた思いになる」と書いていて、ああ、(文学かどうかはわからないけどすくなくとも)物語は中島さんを救っていたのだな、という点です。(人ってしんどい時に、どういうふうに対処するのがいいのか、というのをずっと考えていたせいもあって)個人的にその点だけ知れただけでもこちらが「救われた」とおもっちまったり。
やおいはゴーカンたるべし、とか前に書いてることについていけないところもあったのですが、影響を受けた人の最期を知ることができ、小さな心残りが解消した気がしました。