怖くない賢治先生

匿名を奇貨としてバカにされそうなことを書きます。宮沢賢治の「注文の多い料理店」を読んだのは中学の頃だったはずなのですが、失敗した2人をあざ笑うよう物語にも思える「料理店」って何が言いたかったのか、というのはわかっていませんでした。もちろん今でもわかっていません。だいぶ経ってからあの話は、文字や言葉にむやみに従うととんでもないことになるよ、という警告なのかな、という仮説を立てています。幸か不幸か文学部にも行かずあほうがく部をでたので「注文の多い料理店の意味について書きなさい」というテストに出会わず正解を知らずに社会人になっています。私にとって「料理店」は難解です。匿名を奇貨としてバカにされそうなことを続けて書くと有名な「雨ニモ負ケズ」の詩も知っていますが、私が正しそうなことに対して懐疑的であるせいもあるのですが、宮沢賢治という人がよくわからず正しそうなことを云い切ってしまうことに得体のしれない怖さを持っていました。匿名を奇貨としてもうちょっとくだらないことを書きます。死んだ親の片方の実家は日蓮宗の、国柱会という宗派の熱心な信者の家でした。国柱会の信者に宮沢賢治が居ます。幸いなことに血縁に宮沢賢治のような人は居ませんでしたが、宮沢賢治の作品をいくつか読んでから日蓮宗になんとなく近寄りがたく、日蓮宗については勤行次第は別として教義に深くは知らないままいまに至ります。

17日の毎日新聞に「日蓮主義とは何だったのか」という本の書評が載っていました。帰宅してからなんとなく目を通しています。国柱会の設立者である田中智学についても触れられてて、田中智学は宗教が国家に受動的に従うのではなく日蓮の理念を国家に原理として採用させる日蓮主義を打ち立てた人として紹介していて、ここらへんはさすがに承知していたのですが、思想としてはその智学の打ち立てた日蓮主義が「現実の日本」を「在るべき理想の日本」の理念によって否定する方向へ変化していった、という目からうろこの興味深い事実を実はこの書評ではじめて知りました。影響を受け行動した実例として挙げられてるのが二・二六事件の思想的黒幕と云われた日蓮主義者だった北一輝であり、宮沢賢治です。思い当たるふしはあって理想を抱いてた宮沢賢治は花巻で農地改良の相談にも乗りますし酸性土壌改良のため陸中松川石灰石の拡販に乗り出しています。あるべき理想の日本へたしかに地道に動いていたわけで。

いつになるかわからないけど時間ができたら「日蓮主義はなんだったのか」を読む予定ですがもちろんまだ読んでいません。生半可な知識で書くのはまずいかなあとおもいつつ、書きます。「注文の多い料理店」の現実にあるものをそのまま受け入れてしまうことで悲劇を招くストーリーを考えると、あの物語の意図することは、現実は否定すべきものってことなのかなあ、という気がしてならず、「雨ニモ負ケズ」の詩は現実を否定した上での信仰に根差した在るべき理想なのだろうな、という理解に至っています。なんだろ、読んでから30年弱を経て、宮沢賢治という人が思想的バックボーンを含めうっすらと理解できて、怖くなくなって来た気が。