本を読むこと(加筆あり)

なぜ本を読むのか・文学があるのか、ということをたまに考えることがあります。

大江健三郎さんがノーベル文学賞をとった前後、大江さんは光ちゃんが音楽で世界とつながったことに関してそれまで光さんと世界をつなぐ役割をしてやろうという自分の文学の目的を必要としなくなり、いったん断筆します。文学評論をやっていた中島梓さんはその意味をちゃんとうけとり、「文学は、水頭症の子供を抱えるひとりの文学者を救わなかった。文学者を救ったのは音楽だった」ってことに危機感を持ち「文学をころしたのはだあれ?私だわ、と大江健三郎はいった」という文章を書きます。中島梓さん自身が「文学は飢えた子供の前で有効かどうか・救えるかどうか」というテーマを不幸にもどこか意識してる・もってしまってる人なので、「文学は文学者ひとり救えなかった」という事態に危機感を持ちそう書いたわけです。大学生だった私はバイト先でそれを読んでいます。読んでしまった私は「文学はなんであるのだろう」という素朴な疑問を持っていまに至ります。同時に文学が文学者を救えなかった事態になってなお文学の本を読む意味はどこにあるのだろうということに関してちらちら考えるようになりました。その後大江さんは(おそらく伊丹十三さんの死に関連して再度小説を必要として)「取り替え子」など再度執筆を再開し(そのことによって大江さんの個人的体験が昇華されたなら文学はすくなくとも大江さん一人を救ったのだけど)、中島さんは闘病の末向こう岸に行かれてしまいますが、(取り替え子によって文学は大江さん個人を救ったとしても)「文学はなんのためにあるの」という私の素朴な疑問は明解もしくは明確な答えがないままです。もちろん文学部卒じゃないからその疑問は切実なものではありません。でも文学ってなんであるんすかね。そんなもの関係なくなんとなく文学畑の本や文学畑じゃない本を読んでしまうのですが。

話はいつものように横に全速力で素っ飛びます。

記憶に間違えなければ出雲大社で頒布していたものだと思うのだけどいまの皇后陛下が外国で読書体験に関してスピーチしたものを冊子にしてあるのを前に読んだことがあります。そのなかで子供の頃に新見南吉の童話や魅力的な短い詩やユーモア小説を読んだことに触れながら戦時中に読んだ児童向け名作選の中に嘆きで終わるロシアの悲しい短編を読んだ記憶にも触れられていて、なぜ悲しい短編が入っているのかということに関して、編集者の意図を推測しつつ、本を読むことを通して生きている限りは避けることのできない悲しみについて備えさせるためではなかったか、とありました。でもって悲しみや喜びに思い巡らす機会を与えてもらい、人生のすべてが単純ではないことと、複雑さに耐えていかねばならない、ということも読書から得られたこととして述べてあったはずです。はずですってのは探しても手許にありませんし、読んだのは一回こっきりで簡単なメモしかありません(すごいもん読んだぞ感があったのでメモをとっていた)。でもなんだかすごく腑に落ちてて、そもそも文学がなぜあるのかという問いとは全く関係ないものの、うなづけて、書けば書くほどビー玉をボールペンで転がすようにあちこちへ転がり空疎なのだけど、本を読むことの意味を改めて教えられたような気がしました。

皇后陛下のスピーチ文を読んで私が持つ素朴な疑問のひとつである「文学が何のためにあるのか」については相変わらず「わかりません」し、その疑問に関係なくやはり本を読むことには変わりはないです。でもなんだろ、他者の喜びや悲しみに思い巡らすことや単純ではない複雑さに耐えることが人間にはできることは、本がきっかけで知ったことであった気がしますし、それらは文学の(間接的ではあるけれど)存在意義のひとつではないかという気がしないでもないです。

皇室関係のこの30年の変遷のテレビのダイジェストをちらちらっと視聴しながらほんとはありがたさにむせび泣いて感謝しなくちゃいけないのかもしれません(311の直後、千代田区内は停電しないと判明しても自主的に節電をしていたことをあとから知ってちいさな衝撃を受けた)。が、それよりも、偶然読んだ皇后陛下の一文を思い出してあれこれ思索にふけっていました。わたしは慶事に文学にうつつを抜かす不真面目な非国民であったりします。でも平成の間に貰ったひとつの果実≒本を読むことに関してのスピーチは不真面目な非国民になるほど私をとらえて離さなかったのですが。