備蓄食料のこと

両国に横網町というところがあります。大正の途中まで被服廠があって、それが移転して被服廠跡という名前の空き地になった頃、関東大震災が起きました。本所吾妻橋あたりで仕事していた曽祖父はここなら大丈夫であろうという被服廠跡に逃げ込んで、地震の後に発生した火事が横網町の被服廠跡を襲い、焼死しています。そのことをずっと聞かされていたので、地震というと火事が怖いと思っていました。ところが東日本の大地震のときは東京は火事はほとんど起きませんでした。むしろ怖かったのは日本橋などでは建物からガラスが落下してくる、なんてことがありました。想定してなかったので正直びっくりした記憶があります。
でもってさらに想定外だったのはその後の輪番停電です。交通機関がマヒしたことによって疲弊している最低限の人員で業務を行わざるを得ず、最低限の人員に入っていた私は輪番停電のあった最初の月曜は正直、「こんなの続くのか」と絶望的になったことを記憶しています。地震の後にあちこちで、たとえば「なんで危機対応マニュアルがあるのにその危機対応マニュアルが危機の時に役に立たなかったのか」、なんてことが実は問題になったのですが、頭の中で考えられたものはそもそも完璧は難しいんじゃないかなあ、と思ってるんすけど、さすがにそれは言いにくかったり。同じことは防災もそうで、先を見通した完璧な備えってのは難しいことなんじゃないの、ってのがすごくあります。もちろんそうはいっても「そなえよ常に」のほうがいいので、相応の準備は反省の上にどこもしてるはずなんすが。
はてなのお題が防災なのですが、個人的なことを書くと東日本のときは正直食料がなくなるということを想定していなくて、気がつくとあちこちからパンやお米が消えていて(冷凍赤飯とかパックのマンナンライスってのが市役所のそばの店に残ってたのでめでたくもないしダイエットしてないけどそれを食べていた)、反省して水を入れれば何とかなるお米のほかにパックライスは余裕をもって用意してます。こういうの、役に立たないまま死蔵のカタチが一番いいのですが、今日も夕方地震があって、なんとなく賞味期限の日付はダイジョウブだったよな、と帰宅後確認しちまったり。