写真集とわいせつ判断

男性器の写真が収録された米国の写真家、ロバート・メイプルソープ(1946〜89年)の写真集がわいせつ物にあたるかどうかが争われた訴訟の上告審判決が19日、最高裁第3小法廷であった。那須弘平裁判長は「写真集は芸術的観点から編集されており、全体としてみれば、わいせつ物とはいえない」と述べ、わいせつ物とした2審・東京高裁判決を破棄。その上で、国内への持ち込みを禁じた税関の処分取り消しを命じた。国側敗訴が確定した。
判決は裁判官5人のうち4人の多数意見。メイプルソープの別の写真集について、最高裁は99年にわいせつ物と判断。この日の判決が、前回わいせつ物とされた5点の写真を含む写真集を芸術作品と認めたことは、わいせつ概念の変化を示すものといえそうだ。わいせつ物を巡る訴訟で最高裁が下級審の判断を覆した例は過去にないという。訴えていたのは、東京都の映画配給会社社長(52)。判決によると、99年9月、花や人物などのほか、男性器のアップ写真20枚が19ページにわたって掲載された写真集「MAPPLETHORPE」(384ページ)1冊を米国から持ち帰ったが、成田空港の税関で、関税定率法が輸入を禁じた「風俗を害すべき書籍」に当たるとして持ち込みを禁じられた。
多数意見は、メイプルソープが写真芸術家として高い評価を得ていることを踏まえ、「写真集は、その写真芸術の全体像を概観する観点から編集され、問題となった写真が全体に占める比重も相当低い」と指摘。「全体としてみた時、好色的興味に訴えるものと認めるのは困難」と判断した。99年の最高裁判決については、「写真集の構成や処分を受けた時期が異なり、矛盾しない」と述べた。
これに対し、堀籠幸男裁判官は「性器が露骨に配置された写真はわいせつ物に当たる。芸術性があることを理由にわいせつ性を否定するのは許されない」とする反対意見を述べた。1審判決は「わいせつ物には当たらない」として、国に処分取り消しと70万円の賠償を命じたが、2審は原告逆転敗訴としていた。
2月19日付読売新聞より転載

長いことこの国においては性器そのものを公衆の目に触れるカタチで置くことを禁止してきました。性器そのものを公衆の目に触れさせるっていうのは、善良な性風俗を害するのでは?っていうところから来ています。ただ善良な性風俗ってなによ?と云ったら説明がつきにくい。また成人男性とか成人女性の中には異性の性器を見ても被害者としての意識を持たない人もいるわけで(むしろ積極的に見たがる女性っていう存在をネットではじめて知りました)、公然わいせつやわいせつ物陳列頒布のすべての被害者が被害者意識をもつかといったら怪しいところも有りますし、非犯罪化したほうがいいのでは?っていう意見もないわけではないのです。
しかし国民の多数が感じるであろう性的羞恥心を著しく侵害する場合が多い性器の写真や画像の陳列頒布行為はやはり、ってことになっています。「例えば未開社会においてすらも性器を全く露出しているような風習はきわめて稀れであり、また公然と性行為を実行したりするようなことはないのである。要するに人間に関する限り、性行為の非公然性は、人間性に由来するところの羞恥感情の当然の発露である。かような羞恥感情は尊重されなければならず、従ってこれを偽善として排斥することは人間性に反する」っていうチャタレー事件判決(最大判S32・3・13刑集11巻3号997頁)の説明が判り易いかもしれません。性に関しては非公然であるべきっていう判断です。これはいまだ守られるべきかなと思います。


こんにゃくに高い税金をかけることで事実上入ってこなくするってのを前に書きましたがわいせつ相当物もやはり関税関係の法律で規制して入ってこないようにします。
で、今回問題になってたのはアメリカで評価が高かった写真家の写真集です。ただし、男性器が写ってます。ですから税関は持込を認めませんでした。写真集の持込をしようとした男性はそれを不服とし、税関が写真集がわいせつ物に当たるとし持ち込み不可としたその判断の撤回を争ってきました。持ち込んだ側はわいせつ物じゃない、芸術作品だってことを主張し、最高裁はそれを認めました。
最高裁は長い間「わいせつ」の意義について、その内容が「いたずらに性欲を興奮又は刺激させ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するものをいう」としてきました(最大判S32・3・13刑集11巻3号997頁)。いわゆる「わいせつの3要件」なんすけど、このわいせつの3要件に該当するか否かは社会通念にしたがって判断されることになりますけど、この社会通念の内容ってのがどんどん変化しています。今回も変化があって記事中の「99年に」「わいせつ物とされた5点の写真」は今回は芸術作品と認めたことなんかが象徴的です。


写真家について補足すると、写真家であるロバート・メイプルソープは多くのメールヌードを残しましたが作品には独特の静謐な世界観が構築されています。古典彫刻を連想しやすいっていえばいいでしょうか。しいて言えば均整の取れた体の美しさのようなものを切り取ろうとしてたのでは?と思います。構図がなんかこうどちらかというと保守的なんすけどしかしその対象がヌードとかで、なおかつ隙がないくらい「完璧」を感じさせます。作品に妙な緊張感がけっこうあります。で、いかんせん被写体が生花のほかにメールヌードであったりSMであったり、なんてのもあったので毀誉褒貶ある写真家です。当該写真集がどういうものかは不知なんですけど「男性器のアップ写真20枚が19ページにわたって掲載された写真集」ってのはロバート・メイプルソープなら不思議じゃないな、とうっすら思いました。そしてまた、芸術性が認められやすいってのは判らないでもないな、と思います。数年前に大丸で回顧展をやってたくらいですから、知名度もけっこう有るはず。



今回のこの判決は画期的といえば画期的です。なにしろ性器がモロ写りの写真集を縛りがあるとはいえ国がわいせつでないっていう判断を下したからです。
で、下種な勘繰りをすると、ひょっとしたら今回の判断はネット画像を意識してるのかもしれません。事実上野放しに近いからそこらへんとの均衡を図ったのかもですけども。


で、わいせつ物の判断が、芸術性っていうモノサシで間口が緩くなったというか広がったのですけど曖昧な方向へいちまった感もあります。


今回、芸術性があれば男性性器はオッケイって言う判例を作ったことになりモロ画像でも芸術性がわいせつ性を破ればって云うことになるんですが、でもこの二つの概念むちゃくちゃ曖昧です。例えば構図的に保守的で透明感や静謐感があって性器を強調する写真がある場合、それでも芸術性は保たれるのか?芸術性がわいせつ性を薄めるか?っていったら私は違うと思う。答えは出ないかもですけど。それとわいせつ性と芸術性は次元がいくらか異なるときがあるはず。
で、今回は男性の裁判官が男性性器を見ての判断ですけど、これが女性の性器だったらどうか、もしくはロバート・メイプルソープじゃなかったらどういう判断を下したのかってことも気になりました。また記事中、「メイプルソープが写真芸術家として高い評価を得ていることを踏まえ」なんてのがありますけどアマチュアひよっこの、けど、芸術性の高いカメラマンが作品を撮ったらどうなるんだろう?なんてのを記事を読んで最初に考えちまったのですけど。同じ判断下したろうか。


私の頭が固いせいもありますが、少数意見の「性器が露骨に配置された写真はわいせつ物に当たる。芸術性があることを理由にわいせつ性を否定するのは許されない」とする考えのほうが説得力あるというか多数意見よりまだ合理的な気がします。主観的な判断になっちまいやすい芸術性っていうのは曖昧さがかなりあるからです。利益不利益を判断するときにそれは不適当じゃないかな、と。


余談ですが。
私が中学生だか高校生のころは、たしか毛が見えるだけでアウトでした。毛が見えるってだけで、大騒ぎしたのです。比べていまはどんどんそのころに比べて公然化しています。ちょっと前にも丸井のポスタで仁王立ちした水着の女性の股間の形状がはっきりわかるのがあってそれがオッケイってことに驚愕したんですけど、正直性器が写ってても芸術性があればオッケイっていう今回の判決は、すごい世の中になったなー、という感慨があります。正直公然化の恩恵を享受してないわけではないので大きな口をたたけませんが、いいのかなあ、という疑問をもっちまうのですけど。