欠損

80年代後半にはおニャン子クラブってのがありました。聞いたのは発売からかなり経ってからの頃のはずですが曲名は忘れたけど「セーラー服を脱がさないでいやよだめよがまんなさって」って歌詞の曲が流れていました。記憶に間違えなければ「バージンじゃつまらない」ってのもあったはずです。性に関しての歌詞が続き、意味をなんとなく悟った10代前半だった私は、なんだかはしたないなあ・いやだなあ・どこかついてゆけないなあ、というのがありました。その経験が根っこにあるのでいまでもあんまり性的なことをおおっぴらにはしゃべりません。しかしその歌に遅れはしたものの10代のうちに童貞と処女(よいこのみんなはわかんなくていいです)を失っちまっててやることはやっています。ですからほんとはになにかを云える身分じゃないです。云える身分じゃないのですが、大学で刑法各論の授業で公然わいせつのあたりを学んでいた時に、性という人間の本能のようなものに対し、生活するうえである程度の品位というのがやはりあって、そのせいで反発することによって羞恥心って形成され、それが性の非公然原則などになる、ということを学んだとき、十代前半で「セーラー服を脱がさないで」に反発したのはそれほど変なことではなかったのだな、と妙に安心した記憶があります。はてな今週のお題が「アイドル」で、おニャン子クラブから刑法各論って飛躍が過ぎるのですが、私にとって「セーラー服を脱がさないで」はおのれの行動や言動や考え方を左右しててわりとでかいです。あんまりそういうやつはいないかもしれませんが。おニャン子クラブになにかをなすりつけるつもりはありません。が、ずっと異性のアイドルというものに対して興味を持ててません。アイドルのCDを買ったこともなければ写真集も買ったことがありません。
むしろアイドルというとやはり同性で同世代であるSMAPに親近感があります。社会人になって名古屋に行き見知らぬ土地で馴染むまで大変だったとき・仕事がなかなか難しい局面に入ってしまったとき、メロディラインを脳内で追うことで気分転換を図り、歌うことでどこかすっとしていました。高架下の誰もいないところで歩きながらわりと歌っていたのがSMAPの「青いイナズマ」とか「SHEAK」とか「Dynamite」あたりです。よく流れていたので完全に覚えていました。「SHEAK」なんて「チョベリベリ最高ヒッピハッピシェイク」とかってなんの意味があるのかまるでわかりません。意味があるのかわからないことがそれまで考えていたことを断ち切るには充分有効で、私には意味があることだったのです。歌というものの効能のひとつとして、歌にはしんどい状態をいったん麻痺させる麻薬があると思ってるのですが、ってそんなことないか。もちろんジャニオタではありませんからSMAPのCDや写真集などを買ったことはありません。その程度でも解散が既定路線になったとき「あ、寂しいな」ってのはありました。
推しとか自担とか、入れ込む経験をしたことはまったくありません。そういう言葉に触れるとちょっとだけ、ああおれは人に比べてなにかが欠損してるのかな、と思わないでもなかったり。