児童ポルノ雑感1

ネット上にはんらんし続ける児童ポルノに、日本はどう対処すべきなのか。
 ◇通報の7割、性的行為 ネット上有害情報 
10代で知らない相手から性的暴行を受けたという30代の女性は「一生忘れられないし、20年たった今でも悪夢に悩まされる」という。「児童ポルノは持っているだけでも処罰すべきで(単純所持が合法の)日本が、いつまでものんきなことを言っていていいのか、と首をひねりたくなる」2児の母という兵庫県の女性(37)は「娘がいるので、人ごとではありません。厳罰に処してほしい。女性と子供が安全に暮らせる社会でなければ少子化は止まらない」と訴える。幼いころ性的被害を受けた女性も「当時は幸いにビデオや携帯電話がなかったが、今は映像に残され、さらに傷つけられてしまう。一生を台無しにされるかもしれないのに、刑罰の甘さにはあきれてしまう」と言う。
ネット上の有害情報の通報を受け付ける「インターネット・ホットラインセンター」(東京都港区)によると、昨年6月の開設以来、児童ポルノと判断した通報は1042件。単なるヌードではなく、DVDを中心に性的行為が7割を占めるとされる。さらに掲示板などへの投稿は「小学生や幼児の画像にまで及んでいる」(同センター)という。警察庁によると、児童ポルノ禁止法違反での検挙は06年が616件で前年比31・1%増。うちインターネットを利用したものが250件で4割に上る。警察庁幹部は「画像の削除を民間団体と協力して行っているが、限界がある。警察だけに限らず、単純所持の禁止を求める声は大きくなっている」と語る。奈良県では奈良市で起きた小1女児誘拐殺害事件を機に05年7月、児童ポルノの単純所持を禁止する条例が施行された。
 ◇「麻薬と同様だ」
「ポルノグラフィと性暴力」の著書がある中里見博・福島大准教授(憲法)の話 単純所持の禁止に対し、表現の自由やプライバシー侵害として反対する声はあるが、児童ポルノは麻薬と同様だと考えれば「所持の自由」が認められる領域ではない。国境を越えるネットで流通している以上、各国が協力して規制するしかない。捜査権乱用を懸念する声もあるが、迷惑メールに添付された画像を削除し忘れた人が裁かれるべきではない、というのは原則。運用のあり方は議論すべきだろうが、大きな萎縮(いしゅく)効果があるのは確かだ。
 ◇解説 「人権軽視国でいいのか」 
米政府が児童ポルノをめぐり、画像の「単純所持」を処罰できるよう日本側に法改正を要請したことは、国際社会の動きを反映している。現状のままでは「子供の人権を軽視する国」という評価が定まりかねず、国会は本格的な論議を求められる。今年5月、主要国首脳会議(ハイリゲンダム・サミット)司法・内務相会合は児童ポルノ根絶に向け、国際協調を強めることを宣言した。背景には、インターネットの世界的な普及と技術の進歩がある。この問題に取り組むスウェーデンのシルビア王妃は毎日新聞の取材に「ビデオカメラで撮影し、ネットで簡単にばらまける時代になった」と指摘。ネット時代に合わせた法整備の必要性を強調した。スウェーデンでは今年予定される法律の見直しで、単純所持の処罰をさらに進め、児童ポルノを見る行為そのものを禁止することも検討されている。「ネットで見るだけでも性的刺激を受け、実際に子供を虐待する危険がある」という考え方が強いからだ。
児童の性的虐待問題に取り組む国際NGO(非政府組織)「ECPAT」の05年の報告書によると、日本は誰でも簡単に無料でアクセスできる児童ポルノサイトの数が、世界で5番目に多い。海外からも見ることができるため、日本国内だけの問題にとどまらない。単純所持の禁止については「捜査権の乱用を生みかねない」などの指摘が国会の一部にあり、判断を先送りしてきた。しかし、それは法律そのものより、運用の仕方にかかっている。
米国やスウェーデンでも捜査当局はその点に慎重を期しており、大きな問題にはなっていない。国境を越えて広がる児童の被害をどうくい止めるか。日本も国際社会に足並みをそろえる時期に来ている。
6月10日毎日新聞より転載

児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律(抜粋)
(目的)
第一条 この法律は、児童に対する性的搾取及び性的虐待が児童の権利を著しく侵害することの重大性にかんがみ、児童買春、児童ポルノに係る行為等を処罰するとともに、これらの行為等により心身に有害な影響を受けた児童の保護のための措置等を定めることにより、児童の権利の擁護に資することを目的とする。
(定義)
第二条 この法律において「児童」とは、十八歳に満たない者をいう。
2 この法律において「児童買春」とは、次の各号に掲げる者に対し、対償を供与し、又はその供与の約束をして、当該児童に対し、性交等(性交若しくは性交類似行為をし、又は自己の性的好奇心を満たす目的で、児童の性器等(性器、肛門又は乳首をいう)を触り、若しくは児童に自己の性器等を触らせることをいうをすることをいう。
一 児童
二 児童に対する性交等の周旋をした者
三 児童の保護者(親権を行う者、後見人その他の者で、児童を現に監護するものをいう。以下同じ。)又は児童をその支配下に置いている者
3 この法律において「児童ポルノ」とは、写真、ビデオテープその他の物であって、次の各号のいずれかに該当するものをいう。
一 児童を相手方とする又は児童による性交又は性交類似行為に係る児童の姿態を視覚により認識することができる方法により描写したもの
二 他人が児童の性器等を触る行為又は児童が他人の性器等を触る行為に係る児童の姿態であって性欲を興奮させ又は刺激するものを視覚により認識することができる方法により描写したもの
三 衣服の全部又は一部を着けない児童の姿態であって性欲を興奮させ又は刺激するものを視覚により認識することができる方法により描写したもの
(適用上の注意)
第三条 この法律の適用に当たっては、国民の権利を不当に侵害しないように留意しなければならない。
児童ポルノ頒布等)
第七条 児童ポルノを頒布し、販売し、業として貸与し、又は公然と陳列した者は、三年以下の懲役又は三百万円以下の罰金に処する。
2 前項に掲げる行為の目的で、児童ポルノを製造し、所持し、運搬し、本邦に輸入し、又は本邦から輸出した者も、同項と同様とする。
3 第一項に掲げる行為の目的で、児童ポルノを外国に輸入し、又は外国から輸出した日本国民も、同項と同様とする


わいせつ罪とかの場合、何を保護するか、といったら、善良な性風俗じゃないか、というのが一般的理解です。しかし、善良な性風俗って何よ?ってとわれたら、実は定義は難しいと思います。曖昧なままだと場合によっては道徳観念をもって刑罰を科し、強制する、という事になりかねず微妙かなーと思います。そもそもわいせつ物公然陳列の場合に、一般的に誰が被害者かというと、怪しいところがあります。しかしながら性的な表現を見たときに羞恥感情が発生する場合がないわけではなく、その性的羞恥感情は性に対しての人間としての品位が反発するところからおよそでてきてるはずです。ただ、個人差はあるはずでネットでもリアルでも平気で性器の名前を連呼しても平気な人がいるでしょうしそうでない人もいます。対外的評価を気にしない人もいるでしょうし明確な線は引きにくい。しかし対外的品位を誰もが考えたりするので(普通は)セックスを非公開で誰も行うし、性的なことに対して語ることを憚る風潮があると思います。そもそもわいせつ物その他表現を見たくない人にとってはその表現や、性器の名前を連呼することは苦痛でしょう。
通常人が嫌悪感を抱くような(ある程度存在するであろう)性的感情を侵害するものはやはり規制するべきものであろう、というのは妥当だと思います。ただ、なんでも規制ができるか?と言ったらそういうわけにはいきません。

憲法第二十一条  
集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
2  検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。


いわゆる表現の自由についての条文です。一人一人がどのような生き方をしたいのかを伝える事や何を訴えるかは国は干渉しないよ?という条文です。自分の経験を訴える、歌を歌う、同人誌を作る、エロブログを書く、といったことを制限はしない、ということであったりします。さまざまな表現物に触れて自己の人格を形成することを制限すべきではない、という側面もあり、表現物をたとえそれが性表現にまつわるものであってもみだりに(←みだらにではありません)制限すべきでない、ということなのです。この条文があるのでエロイからといってすべてを一網打尽に規制はできません。制限を行うのならば目的が重要で、かつ、やむをえない程度に限る必要があるときに限ります。表現の自由というのは国家賠償請求権等とは異なり優越的な人権として手厚く保障されていまして(→この様に、司法審査の場においてある人権を他の人権より特別手厚く保障することを「二重の基準の理論」と呼んだりします)表現の自由を規制しようとする立法に対しては、明確性の理論の適用(曖昧不明瞭な法律によって規制を加えると、萎縮的効果が生じるので法文上不明確な法律を原則として無効とし条文が明確でなければならないとする)などが必要になってきます。
性表現は上記のように憲法上保護はされますが野放図、というわけにはやはりいきません。
性道徳や性的秩序の維持などを留意して表現の自由を尊重しながらわいせつの定義(アウトゾーン)を厳格にしておき、表現の内容の規制をなるべく限定しよう、というふうになってはいます。通常人が明白に嫌悪感を抱きやすく芸術性などの社会的価値がないようなものを制限すべき、という考え方です。
余談ですがいまのところ刑法の世界では
○徒に性欲を興奮せしめ、
○通常人の正常な性的羞恥心を害して、
○善良な性的道義観念に反するもの、
といったものを「わいせつ」としています。

児童ポルノも一応は表現の自由を受けるもので有ったりはします。しかし児童ポルノ処罰法の目的は、児童に対しての性的搾取の結果頒布され販売される児童ポルノを制限する事で児童の権利を守ろう、というものです。成人に比べて心身ともに未発達で未成熟の児童を守るという目的は重要であり、表現の自由に対する制限としてやむをえない事情のものといえます(なお三条なんかは、たぶん表現の自由を意識してるはずです)。また視覚により認識できるものに児童ポルノを限っており、被写体がどういう状況かの定義もしっかりしており不明確を避けています。
児童ポルノ処罰法の条文を見ていただくとわかるんですがこの法律は児童ポルノ販売頒布を禁止しています。なお、児童ポルノ画像をインターネット上の掲示板に載せたってのはわいせつ物を公然と陳列したことになるはずでアウチのはずです(児童ポルノに限らず画像を閲覧可能な状態でプロヴァイダのサーバー上に蔵置することはわいせつ物陳列なのです)。
ただ、表現の自由の規制の手段として刑事罰を持って処罰することが良いのか?というの疑問もあります。刑罰は萎縮効果が高いので表現活動の規制としては慎重であるべきですが、児童ポルノを規制することで児童の権利保護を目的とするなら他に効果的なものはなく、やむをえないことかもしれません。


丹念に条文を読むとわかりますし、上記の毎日の記事にも書かれてはいるのですが、児童ポルノを所持してるだけでは罪には問われません。国会で実は処罰しようか、という改正法が過去に出てたのですが、なされてないままです。頒布や販売を目的としない児童ポルノを所持することを規制するのは実は困難だと思います。
というのは、今まで述べてきたように児童ポルノの規制と処罰が許されるのはあくまでも児童の権利保護のためで、児童の権利保護のために営利目的で児童ポルノを製作し頒布や販売を行う者を刑罰でもって規制していこう、という側面があります。つまるところ児童の性的虐待を防ぎたいのです。
その点から現行法は果たして所持を処罰していいのかな?ということで所持を処罰しない方向になってるはずです。所持が性的虐待と関連があるかというとむずかしい。
また対象が児童でないわいせつ物を頒布販売目的以外で所持することを処罰することは現行法ではできません。対象が児童であるというだけで単なる所持を処罰することが可能かというと苦しい。単なる所持を処罰するなら、児童の権利保護に役に立つ、やむをえないこと、といえる必要があるのです。所持した人間が、児童の性的虐待に加担したってなら話は別なんですが。
とはいってもなんとなく心情的に所持も処罰したいところで、児童ポルノの所持を処罰すればたしかに購入や譲受が減るかもです。しかし営利目的で製作された商業ベースのわいせつ物の所持との均衡を考えると疑問符がついちまうのです。わたしもちと所持まで処罰するのはどうかなーと思います。児童ポルノを製作した側ではなく譲受や購入しても捕まるとするなら性癖や趣味にも制裁を受けるということになりかねない気がします。私は別に小児性愛者ではないんですけど。

記事中の、被害者の感情は判る気がします。出来ればその情景を引き起こす写真等は完全に消去すべきでしょう。また、児童ポルノが増えるのが良い世界だとは私も思えないです。ただ所持に対して罰則をつくれば済むのかって云うとそれは違うんじゃないかと思うのです。やはり児童ポルノを製作する側、または取得した画像を頒布する側を厳罰化して規制するしかない気がします。他に良い具体案が思い浮かびませんが。

また、浅学菲才のみを省みず専門家にたてつけば、児童ポルノと麻薬の関係が実はわからなかったりします。常習性があって奇行を引き起こすってのがあるなら話は別ですが、児童ポルノと性犯罪に相関関係はあっても因果関係ないと思うのですが。

で、「不安を感じる」といった漠然とした不安意識が理解できないわけではないですが、そういう不安のあおり方って良いのかなー。