感情労働雑感

いきなりワタクシゴトで恐縮だが、私は数年前、上司からこう言われたことがある。
「ハマダくん、もう少し楽しそうに仕事してくれないと、僕も困るんだがなあ」
記者なんて会社の中でどんな顔して働こうが勝手でしょう、と言いたいところを我慢して、
「仕事はきちんとやってますよ」
仏頂面で答えたら、上司は渋面と苦笑いの中間ぐらいの表情で沈黙していた。 しかしいま思えばそんな強気な回答も、こんな無粋な業界だから許されただけのことかも知れない。なぜならいま世間では、あらゆる職種に「コミュニケーション能力」が求められ、模範的な「接遇力」が要求されているようである。
例えば、こういう事例がある。
2002年、札幌市内の病院で、患者の世話をする介護員として4年余り勤務していた20代の女性契約職員が、「笑顔がない」「不満そうなオーラがでている」ことを理由に、病院側から契約更新を拒否された。その後、病院側の対応を不服として、札幌地裁に病院を訴え、一審で勝訴。控訴審判決でも、勝訴している。 06年4月には、東急東横線渋谷駅で、30代の男性駅員が、切符を出さずに改札を通り過ぎた男性を呼びとめて事情を聴こうとしたところ、男性から暴言を浴びせられつばをはきかけられた。駅員は怒りのあまり男性を殴ってしまい、諭旨解雇処分になっている。
分別ある労働者たるもの、いかなる状況下でも、適切な表情で倫理的にふるまうことが、アタリマエと目されている。
でも、それって本当に「アタリマエ」なんだろうか――。
(中略)
看護の領域などで知られる、「感情労働」という言葉がある。 「肉体労働」「頭脳労働」と並ぶ言葉で、人間を相手とするために高度な感情コントロールが必要とされる仕事をさすものだ。1980年代に、アメリカの社会学者が、当時の航空会社の客室乗務員の労働実態を、典型的な「感情労働」であり、「感情の搾取」にあたると指摘。まず、社会学の用語として広まった。 平たく言えば、働き手が表情や声や態度でその場に適正な感情を演出することが職務として求められており、本来の感情を押し殺さなくてはやりぬけない仕事のことだ。
(中略)
では個々の感情労働者は、どうしたら燃え尽きずに済むだろう。独居老人の後見などを請け負う都内の福祉事務所を運営する女性(48)は、契約しているソーシャルワーカーたちに「定時終業」と「オフの充実」を徹底させる。
「時間内にやるべきことをしっかりやったら定時できっぱり仕事から離れ、後は趣味などで自分を満たすように言います。24時間、仕事に引きずられないための切り替えの訓練になりますし、他人の気持ちや不幸を受け止めるには、充実していないと続きません」

AERA:2007年06月04日号『「感情労働」時代の過酷』より転載

定時できっぱり仕事から離れれば良いのですがそうは行かねーよ、と言いたいのはぐっと堪え、なるほどなー、良くわかるなー、と思った記事です。アエラなんて買わないのですが調剤薬局で待ってるときに目にしてて、ネットでも読めたので一部転載しました。

以下、脈絡のないことを。記事中の言葉を借りて。

会社から帰ってきてネットに向き合う前に、ガーシュインのパリのアメリカ人とか、リヒャルト・シュトラウスティル・オイレンシュピーゲルの愉快なイタズラとかのCDを聴いてから記事を書いたりしてるのですが、上記の記事を読んで趣味で自分を満たしてからネットに向き合ってるのに気がついて、自分にとってのネットとはなんなのだろう、と思いはじめています。最初はネットが趣味を満たすものだったのですが、いつからかそうではなくなってきました。書いてきた記事の内容の変化があって生半可なことを書けなくなったってのもありますが。
私はリアルでは看護士さんのような常に感情を演出する必要のある労働者ではないですが、コミュニケーション能力は必要な職にあります。で、最初はネットではほんとにオフのつもりで気を抜いていたのです。
しかし恥ずかしながらネットの知り合いが増えるにつれ、ほんとはネットでも「コミュニケーション能力」が求められ、模範的な「接遇力」を持ってして「適切な表情で倫理的にふるまうことが、アタリマエ」必要になってくるわけで、そのことになかなか気がつきませんでした。


自分でブログを書いてる分には問題ないのですけど、他人との関係の中に身をおこうとするとオフだからって訳にもいかなくなってきます。で、根はがさつで短気で不真面目で淫乱ですから模範的接遇力を維持しながらほんとに適切な表情で振舞うことは、実はパワーが要ります。春先あたりから接遇力不足に気がつき自分に出来そうにないからネット落ちしようか、とか真剣に考えていました。
そこまでいったきっかけはささいなことで、あることについて、あることをお願いしようとして、面とむかってある否定的感想をいわれたことなのです。確かにめんどくさいことなんでその感想はもっともでありその人を批難することも出来ないです。で、その言葉を浴びても反論を押し殺しやりすごしたのですけど、そもそも本来ならそこで右から左へ受け流すか耐えなきゃダメなんでしょうけど、ただ人間としてどこか出来てないので感情のコントロールが出来ず、ムーディー勝山にもなれず、数日沈んでました。防禦をきちんとしてなかった方が悪いんですが。
なんとなくもやもやしていたものがこの時をきっかけにはっきり見えてきました。
リアルと変わらないであろうネットにおいても、対話をしようとするこちらにその感情剥き出しの言葉を受け取るだけの余裕と接遇力がほんとはネットでやってく上で必要なんだと思います。そのときそれがなかったですし、今でもないんですけど、いろいろ考えてネットでもリアル同様にそれら感情を押し殺して適正な表情を維持するというしんどいスキルが生きてく上で必要なのかと気がつきました。で、リアルでさえストレスあるのにネットに身をおいてて更にストレスがたまり、しんどくなるならやめちまおうか、自分がネット向きの人間じゃないかもだし、ほんとこのさき巧くやってけるかな、と考え、引き返すなら今かなー、と思って管理画面を開けたのです。管理画面を出してはてなの退会手続きをする直前までいって、結局は消さなかったんですが。はてなのポイントが560あって処理をどうしようか、と考えたからです。どなたか要りますか?


また人間として出来てないから、短気なので「いかなる状況下でも、適切な表情でふるまう」ことができません。「同性愛者も異性愛者も人間を愛してるんだから同じじゃないか」なんてのもほんとはめくじらを立てるほどの事じゃない可能性があるにもかかわらずニコニコできなかったので過剰に反応しちまってます。上記の件も含めてほんとはいわゆるはてなでいう「スルー力」(ものごとをやり過ごしたり見て見なかったことにしたりする能力のこと)をもっとつけたほうがいいのかも、とは思ってます。が、できそうにない。巧く身をかわせる自信がない。波乗りも巧くないです。

ネットに幻想を持っていませんし、理想郷だとは思っていません。ネット落ちしようってのは、たぶん五月病のようなものかもですが。また、やめるメリットとやめないメリットを考慮して、残ってるはいるんですけど。