現実からちょっと目をそらす

ここのところしばらくなにかを書こうとするとはてな今週のお題「元気を出す方法」に絡んで編集画面では「あなたの元気の出し方を教えて」という文句が問答無用で毎日出てきます。それを眺めてて「元気って出すものなのか?」という素朴な疑問があります。そもそも実物を視認したことがありません。ので元気というのは

「東郷大将が大和魂を有っている。肴屋の銀さんも大和魂を有っている。詐偽師、山師、人殺しも大和魂を有っている」 「先生そこへ寒月も有っているとつけて下さい」「大和魂はどんなものかと聞いたら、大和魂さと答えて行き過ぎた。五六間行ってからエヘンと云う声が聞こえた」

夏目漱石吾輩は猫である

っていう大和魂みたいなものなのかな?と推測するものの、元気って出すものじゃなかったらいったいどんなものかてめえわかるのかよ?と聞かれると正直わかりません。しけんもなんにもない!お化けなので…じゃねえ、試験が無い社会人なので元気ってなんだよ?って問われたことはありません。

話はいつものように横に素っ飛びます。

去春、能登出身で上京してきた高校生の岩倉さんとクラスメイトの志摩くんを主軸に物語が進むスキップとローファーというアニメをMXでやっていました。詳細はなんらかのカタチでアニメか原作にあたていただくとして、不粋なネタバレをお許しいただきたいのですが10話ではクラス全体が文化祭の演劇の準備に動き出す中で、岩倉さんは自らに起因することでわりと凹むことが起こります。それを傍から見ていた志摩くんは岩倉さんに付き添い、演じる作品を語りつつ、劇に出てくる岩倉さんも知ってる歌を歌わせ、岩倉さんを引っ張りあげます。凹んだ状態で悲観しつづけても事態が変わるわけではないので「現実からちょっと目をそらし→耳を使わせ身体を動かさせそれに集中させそれまで考えていたことを遮断し→悲観を脱し立ち直らせる」というプロセスが理にかなってて見事で、そして岩倉さんは決して歌は巧くないのですが「良いものを視た」感があって唸らされています。

以下、冷静に考えるとフィクションとはいえ高校生と似たような思考をしてることの自白になるのですがそれは横に置いておくとして私は「現実からちょっと目をそらす」≒料理の献立等別のことを考え→「他のことに集中」≒それまで考えていたことを遮断し→悲観を脱すしてから次善の策を考える、というルートをたどることが多いです。次善の策を考える余裕を仮に元気とするならば、それが志摩くんと岩倉さんのように歌や芝居であったりもしくは音楽やフィクションでもいいのですが「現実からちょっと目をそらす」というのは悲観を抜けて次善の策を考える前にはやっておいては損はないと思っています。

さて、話を元に戻しながらくだらないことを書きます。

以前米軍基地でトウモロコシのトルティーヤチップスの上にひき肉に溶かしたチェダーチーズ、それに茹でた豆が載っていたものをたべたことがありました。英語では元気という表現を「full of beans」って表現するのがよくわかるというか、その場では何食わぬ顔をしてがまんしていましたが、大きな声ではいえませんが精力増強の効果ってあるかもということも自覚しています。どちからというとその経験は刺激されて満ちる感覚で、その経験から元気って出すものではなくて満ちて限界になって溢れるものもあるのではないか?感があります。てか途中まで真面目に書いてきたのに最後になんとなくうっすらと下品になっちまいましたあははのは、ってそれじゃダメじゃん