もう少しだけ掛川の話を続けます。
掛川藩の藩政の中心部であった掛川城の御殿は明治維新のあと市役所等になったものの複数あった郭をすべて維持していたわけでは無く、明治期になると竹の丸と呼ばれた郭には葛布を扱った商家松本家が進出し当時の建物がいまでも現存していて見学しています。
正面が大正期に増築された離れで右が明治期に建てられた主屋で、主屋も離れも一階はいまカフェとして使われていて
誰も飲食をしていないことを奇貨としてかつて台所であったところからかつて茶の間であったところを眺めた一枚なのですが、かなり大きな商家であったのだろうな、というのが想像できました。
離れの2階には桐の間と呼ばれる和室と貴賓室等があります。和室は奇をてらったわけではないものの隣にある貴賓室が問題で…って変な問題があるわけではなくて
南面は大きく開けていて鉄製の手すりのあるベランダがあり上に花とオウムとおぼしき鳥のステンドグラス入りの欄間が嵌め込まれていて、しかし引き戸はどこか和風で、西面の南部にはやはり和風の源氏窓(火頭窓)があり
西側北部には床の間で、この床の間も含めてなのですが壁は掛川の名産である(かつては裃などにいまは壁紙などに使われている)葛布で覆われていて
北面の付け書院の板欄間には鳳凰がデザインされ小障子はどこか中華風で
床は寄木張り天井は敷目張りでつまり和風で、つまるところ和洋中に遠州掛川を折衷したちょっとキテレツなデザインで、しかし巧くまとまっていて、頼んだ施主も仕上げた棟梁も良い意味でクレイジーに思え、どっち向いても凝視してしまうような、ちょっと唸らされる空間に仕上がっています。
些細なことなのですが鉄製の白く塗られたベランダ柵の影は黒で、偶然なのか狙ったものなのか。
加えて書くと離れの廊下は白漆喰にせず鼠漆喰で
さらに秋ですから庭の紅葉がどうしても視界に入り、それらも含めこの離れは視覚的な遊びをどこか意識していたのではあるまいか?という気がしてならなかったり。もちろん施主がなにを考えていたかなんてわからないのですが現存する残滓から推測できるのが建築の面白さだよなあ、と。
掛川はこだましか停車しませんが、いままで素通りしていたのを正直ちょっと後悔させる街でした。