中伊豆へ(もしくは駿豆線寄り道の旅)

三島駅からほど近いところに楽寿園という公園があります。その楽寿園の中にあるのが楽寿館という建物です。明治期に小松宮家の別邸として建てられてそれがいまでもほぼ現存していて、存在は知っていたものの行ったことはなかったので楽寿園が中伊豆に行く経路にあることを奇貨として見学してます。

中は撮影不可なので撮っていませんが、釘隠しの千鳥、銀箔貼りのふすま、修学院離宮にもあった記憶のある網干の欄干、欄間に蝙蝠の透かし彫り(≒陽光が差すと壁に蝙蝠が浮かび上がる仕組み)、大きな広間が二つあるのですが格天井すべてに花卉の図が描かれ(≒つまり天井の隅から隅まで少なくとも50以上の花の絵が描かれてる大広間が2つある)、空間という空間を小さなものから大きなものまでなにかしら意味のあるものでこれでもかというくらいに埋めようとしてあります。それがどこか息苦しく感じられたのですがって私の感想は横に置いておくとして、ともかくけっこう見応えのある建物でした。あとなぜか砂壁か漆喰かがなぜか青(というか寒色系)で、それがけっこう印象に残りました。

小松宮家の手を離れたあと増築改装されたビリヤード場なのですが、外観はやはりどこか和風です。

楽寿館に面して地図上は小浜池というのがある(ことになってる)のですが、現在は干上がっています。運が良ければというか夏前は湧水があってちゃんと池になるのだそうで。楽寿館の青い砂壁か漆喰も、池に水があったら映えてあうのかも。

ついでに書いておくと白いのは富士山の溶岩で、過去の噴火でここまで来たんだなあ、と。

楽寿園の小浜池は干上がっていましたが近くの三島大社の境内の池は水脈が違うのか湧水があって、新緑が見事だったこともあってつい足を止めてしまっています。

境内には頼朝と北条政子が座ったらしい腰掛石がありました。誰も座っていません。「座ってく?」と水を向けたのですが「座ってどうする」とかえってきたので座っていません。往来で座ったら「ミーハーです」っていってるようなものかも。

今回三島大社ではじめて知ったのですが三島には暦師が居て独自の暦を作っていて、(約束手形等を考えると現代だったら困りますが)過去には京の暦と1日ほどズレていたこともあったそうでなんだか興味深いと思っちまいました。『鎌倉殿の13人』では庚寅について出てきましたが、平安末期はズレてたのかそうではなかったのかとか佐殿は三島の暦に従っていたのか京の暦に従っていたのか、興味は尽きぬのですが。ついでに書いておくと境内には鹿もいます。

宿泊先に向かう途中、韮山というところにも寄っています。

韮山蛭ヶ小島にある、(おそらく)頼朝と北条政子の像です。

2人して富士山の方角を向いています。周囲はほんとの田舎です。教科書などで蛭ヶ小島という地名は中学生の頃から知っていたのですが、東海道が通る三島との距離感を含めどんなところかを知れたのがちょっとした収穫でした。

もっとも『鎌倉殿の13人』の最新話が伊豆に居た頃を思い起こさせるシーンが挿入されていて、かつ、「我らはもうあの頃の我らではないのです」と小四郎が政子に告げるシーンがあって、そしてどうなるかを知ってるせいもあって、それを踏まえて伊豆の新婚時代と思われる2人を眺めたのでなんかこうちょっと複雑なのですが。物語を知ってしまうと前と後ではものの見方変わりませんかね、そんなことないかもしれませんが。

駿豆線沿いに少し寄り道しながら中伊豆へ行き、短いながらも休養してきました。明日から通常に戻ります。