伊豆に水を見に

土日に2日間ほど伊豆へ行ってました。

東海道線の三島と沼津のあいだに柿田川というのがあります。富士山の伏流水が湧いて出てくる場所として有名なところで、目的地へ行く前にまずそこに寄り道しました。

写真は柿田川のほとりのいまは稼働していない紡織工場の井戸の跡です。枯れてないのでいまでも湧水があります。水は太陽光のうち青い光を吸収しない、ので、陽光が水面に差すと青い光は反射して水面が青く見える、というのを知識として知ってはいて、でもそれを目の当たりにするとやはり唸っちまうところがあります。

不思議なもので…ってちっとも不思議ではないのだけど、陽が射さない別方向からみるとちっとも青くありません(雹が降る前で曇りがちの天気でもあった)。青さは光の影響であることがよくわかります。そしてくだらないことなのですが正円って見ていて飽きないな、と思いました。

不思議ついでに書くと富士山に降った雪や雨水が水を通しやすい地質を経て柿田川に湧き出てくる、というのは理屈ではわかっていますが、理屈を通り越してなんだか不思議だよなあ、と感じてしまったところがあります。

写真左斜め下から右上にかけてが該当するのですが、井戸ではない川床からも湧水が観察できる場所があり、やはり眺めてて不思議と飽きません。良い意味での時間泥棒です。湧水なので水面は変化します。ゆく川の流れは絶えずしてしかし元の水にあらず、ってありますが全然違うかもしれぬもののあの書き出しが妙に腑に落ちてました。4月が忙しくて今回プランニングを申し訳ないけど同行者に丸投げというかほぼ任せてて、柿田川と聞いてわたしは浅はかなところがあって水をみてどうするの?寄ってどうするの?と現地につくまでは口には出さずに内心思っていたのですが(正直に話して詫びた)、すげーもん見たぞ感があって良い方向に予想が外れ、時間をかけて散策しました。

ほんらいの目的地は伊豆長岡の温泉です。ぬるっとしたお湯で、効能を斜め読みする限り美肌に効果があるのだとか。美肌に興味があるわけではありませんが堪能してきました。

翌日は沼津へ。昭和44年まで現役だった御用邸跡を見学。沼津の空襲で大半は焼けて現存せず(再建はされなかった)、華族の別荘を買い上げた部分や上で皇居から移築した建物からなる付属邸2つが残存しています。うち、西付属邸が常時公開されています。

日光の田母沢御用邸を見学したとき、独特の和洋折衷と感じたのですが

沼津も同じで、謁見所なのですが畳の上に絨毯敷き、その上に椅子と机、床の間という和洋折衷です。右窓際の竪繁障子と、上部の筬欄間といって縦の桟を多数入れた欄間などをみると和を簡易にしないでいる匠の意地をうっすら感じました。

居住スペースの御座所、つまり居間で、ここも和洋折衷で床の間ありの畳敷きに絨毯敷きとソファです。

御座所の次が寝室等になるのですが、廊下がやんごとない生まれの方々用と窓際のそうでない人用にわけられています。やんごとない生まれの方々が通る廊下の天井をご覧いただきたいのですが、照明が脇に寄ってて頭上にならないように設置されてて唸っちまったのですが、漠然といまの御所はどうなってるんだろうと興味が湧くものの、さすがに見学の機会は無いだろうなあ。

不思議だなあと思ったのは火気のない盛り付け用の供進所という設備があることです(盛り付けのためか採光用の天窓がある)。別にある調理所から出来上がった料理を運び込み、ここで盛り付けていたという説明書きがあったのですが、調理所でそのまま盛り付けるわけにはいかないのかとか、焼き鮭とかの和食やカレーは別としてナイフで卵を切るような半熟オムライスとかどうしてたのだろうかという単純な疑問が。半熟オムライスはともかくとして、出来立てではないちょっと冷めた食事しか供されないとするなら、やんごとなき生まれの方々というのはなんだか悲しい地位だなという気が。

でもって建築が専門ではなくても、御用邸跡はわりと興味深い施設でした。

数年前、清水で生桜海老を入手して、しょうが醤油で食べたら美味かったので、帰京する前に沼津で生桜海老を調達しようとしました。が、見当たらず。桜海老の佃煮は売ってるのですが、それじゃ意味がありません。同じ駿河湾に面しているのに不思議だなあ、と思っていたらどうも駿河湾全体で桜海老が不漁のようで在庫があるところはあるらしいのですが、あっても高値らしかったり。残念。でも代替に買ったキンメの干物が美味かったので充実した休暇になりました。