佃煮にするほど

たとえば「〇〇ですね」というとき、確認を求めたり同意を求めたりの意味合いがあるはずです。そこにその人の納得を表す「なるほど」という語句がついて「なるほどですね」となると、納得+同意もしくは納得+確認となってしまうので、仮に「なるほどですね」を投げかけられたら、どう反応するのが良いのか正直迷うことがないわけではありません。

でもなんですが。

道を訊かれたときなどに「あのですね」とか云ってしまうことがあって・仕事などで説明のあとその分析や具体的解法を続けようとするときに「それでですね」などといってしまうことがあって、つまるところ確認や同意を求めるつもりでもなくても「ですね」をつけてしまうことがないわけではありません。「あのですね」や「それでですね」と「なるほどですね」はどこが違うのかといわれると文法に詳しくないので答えに窮するというか。

「なるほどですね」は私は使わないもののその「なるほどですね」に関してクレームをつけた人が居るというのをwebで知って、どこがダメなのかわからぬもののそれがNGな人も居るのかと勉強になっています。加えて、どこに他人の怒りのトリガーがあるかわからないって怖いなあ、と。月並みですが日本語って難しいです。

いつものように話が横に素っ飛びます。

河口湖はわかさぎが釣れるのですがたくさん釣れた場合佃煮にすることがあって、それを周辺で売っていたりします。仕事に関連しての話なのですが、たくさんあるという意味で「佃煮にするほどある」と最近口にしたところそれを聞いたほうが吹き出しはしないものの若干口もとが緩んでいて、もとより笑わす意図はなかったのですが「佃煮にするほどある」が人によっては滑稽にきこえるのだな、と勉強になっています。でもって、どこに他人の笑いのトリガーがあるかわからないなあ、と。やはり日本語って難しいです…っていう結論になっちまうのですが。

笑わせるつもりはない発した言葉で笑われてしまう経験は佃煮にするほどあるのですが…って余計なことを書いてしまいそうなのでこのへんで。