昨日のスマスマをみて、沢山の料理をみてて思い出したこと。

前にも書いたのですが、勝手にLサイズ信仰って呼んでますが、食べ物が大きかったり溢れんばかりってのは、なんだかこう、視覚的に幸福感があると思うのです。
それを意識しだしたのは付き合ってた相手の行動です。別に必ずしも家で食事が粗末だったってわけではないらしいものの付き合いはじめた頃に相手に料理のチョイスを任せてたら飲み屋でちょっと食べきれないんじゃ、とおもうほどずらずらと料理皿が並びはじめたことがあって、なんでこんなに頼むの?って問い詰めたら、最初は○○○○が身体が細いからもっと食わせようとおもって、ってなニュアンスのことを言ってたのですが、暫らくすると単純に目の前にたくさん食べ物が並んでるほうが幸福感ない?って事を言い出した。
確かにそうだよなー、とえらく納得した記憶があります。
で、幸福そうに食べてるそばで続けるのは野暮だけど、趣旨を変えて婉曲的に、これ、全部食べきれると思う?っていう質問をしたら、無理かも、という答が返ってきた。私は食べきれないものは頼まないっていう思考だったので自分の食べたいものをちゅうちょなく頼むっていう発想が私にはなく、相手の行動がどこか予想外のことで新鮮だったんですが。

余談ですが、そのときおもいっきり
「ああ、ほんとに他人と付き合ってるんだなあ」
というあたりまえな感慨を改めておぼえました。手を握る以外でも改めて他人を知覚したっていうかなんていうか。自分と違う相手が目の前に居るのは自明なんだけど、ほんと自分と違う人格が目の前に居るぞ、っていうことが良くわかったというか。

沢山の料理を目の前にしての質問も目の前の相手をもっと知りたいっていう「いまそこにあるものの中がどうなってるのか知りたい」スタンスのなせる技なんかな、っておもいますが、好きな相手のあまり計算されていない行動とかそれを裏付ける理屈じゃなさそうな根源的なものとか、そういう部分を見つけると、相手との差異やその思考を知ることとかは些細なことなんすけど些細な差異やその理屈を知ったことがどこか嬉しかったです。些細なことなのに与えるインパクトがでかかった。

「お医者様でも草津の湯でも、恋の病は治せない」っていうけど恋の病って本気で誰も治そうなんて考えて無いのが良くわかるっていうか、恋の病って些細なことでも嬉しくなるという、妙なところがあるんじゃないかと思うのですけども。