誰も悪くないときの「すいません」問題

社会人になってそれほど時間が経ってなかった頃に直接の命令系統には属さぬもののなにかと目をかけてくれたKさんという先輩が居ました。私が関係していたことで手こずっていたときにそのKさんがアドバイスをしてくれたのですがそのときつい「すいません」と口にしてしまっています。それを聞いたKさんは「あんな、お前悪いことしてるわけやないんやったら、そうそう簡単にすいませんとか口にすんなや」という趣旨の忠告を私にしています。もちろんKさんを怒らすことはその後しなくなったのですがその忠告のおかげで簡単に「すいません」と云わなくなったか?というとそんなことはありません。

いつものように話は横に素っ飛びます。

白血球赤血球の数値に異常があって通院している先で昨日の朝、採血をしています。死んだ父も母もそうだったのですが私は血管がでにくい体質で、その日採血を担当した人は私より若い人でそれほど経験を積んで無さそうで、右と左、それぞれ刺しても成功せず「すいません」と申し訳なさそうに謝ってきました。その申し訳なさが伝染したのと血管が出にくいのは先方のせいではないはずなので思わず「いやいやこちらこそすいません」と口にしてしまったのですが冷静に考えれば私のせいでもありません。針を刺されて「苦しゅうない」も変ですし「もっと刺して」だと誤解されます。とりあえず「もう一度お願いします」と右を差しだし念入りに調べて貰い結果として巧くいっています。最後に先方が「何度もすいませんでした」と口にしたのでつられてこちらも「お手数をおかけしてすいません」と頭を下げて退室したものの、やはり誰も悪くはないはずです。肘の内側の絆創膏を眺めながら「すいません」は便利だけどなんか違うよな感があったのですが。

誰も悪くないときにその場を取り繕う「すいません」はなにもないより有用ではあるものの、やはり誰も悪くないのですから何か違うよな感が一日経っても抜けません。しかしどういうふうに言うのがベストだったのか、やはりわからなかったり。

日本語って難しいっすね。