特定の味覚に飽きる体験(もしくは甲州の酒まんじゅうのこと)

山梨土産の定番として金精軒や桔梗屋信玄餅が有名ですが、他にも県内には名物があります。

そのひとつが酒まんじゅうです。

酒まんじゅうというのは味噌か小倉餡を包む生地に酒種を使っているまんじゅうで、どちらかというと「素朴な甘さ」で、小学生の頃にはだいたい父方の叔父の土産としてもたらされ、あるとおやつになっていました。土産として一回にもたらされる酒まんじゅうは10個でもちろん1日で食べきれる量ではありません。それが最低年2回、場合によっては4回ほど、ほぼ連日のように酒まんじゅうを食べていました。父方の叔父は子が居なかったこともあってその分量はいまから思えば相応の愛情表現だったのかもしれません。が、それが何回も何年も続くと「えーまた酒まんじゅう」という心境になります。大人になったいまだったら半分に割ってバターを挟んでトースターで焼くとかのアレンジを思いつきますが小学生にはその飛躍はムリな話で、次第に持て余す→冷蔵庫で干からびてしまうようになります。そのうち干からびた酒まんじゅうは捨てても良い、というルールが出来ると、褒められた話ではないのですが半分以上はわざと干からびさせて捨てるようになっていました。

はてな今週のお題「あまい」を引っ張ります。

上記のような実体験があるので、実は「あまい」というのは飽きるのではないか?という仮説を持っています。

しかし「飽きるほど酒まんじゅうを食べた人間」なんてそういないでしょうし検証は不可能に近いはずです。念のため現存する県下のまんじゅう屋の名誉のために書いておくと盛業中の店も複数あるので山梨の酒まんじゅうは美味しいはずです。が、正直「人生で喰わねばならぬ酒まんじゅうの割り当ての責任は果たした」感がいまでもあってかつて小学生だった私は既にくたびれたおっさんですが先日山梨へ行った際にも「酒まんじゅうを買おう」という気になれずにいます。酒まんじゅうが血肉になっててもおかしくないのに郷愁すら湧きません。

強いて実体験から教訓めいたものを書くとしたら「あまいものは飽きるほど食べてはいけない」です。

ただ秋に出回る甘酸っぱい甲州ぶどうを蜜でコーティングした月の雫はいくつでもイけそうな気がしてならず甘いものに比べて甘酸っぱいものの誘惑はたちがたいものがありませんかね…って、話がズレてきちまいそうなのでこのへんで。