文章は短い方が良いとする世の中での危機感の伝え方雑感

先週だったか先々週だったか東洋経済の特集が文章についてで、興味のない世界だったのでななめ読みに眺めて買いはしませんでした。ただひとつだけ引っかかったのがブログやnoteの話で、それが人気者になりたい人向けのこととして紹介されてて、私は氏素性がバレたら困るので人気者になろうとも思っていないので関係ないのですが、その記事では文章を短くすることをすすめていました。似たようなことを以前すすめられてはいるのですが聞く耳持たずに今に至りますって私のことはどうでもよくて。なんべんも繰り返してるずっと持ってる問題意識なのですが、文章を短くして通用するのは読む方と書く方が同質性がある場合です。その同質性がなければそうでない場合は通じないことがあり得るわけで。注意しないと文章を短くするとなにかが必ず零れ落ちるはずです。

ただ世の中、ブログやnoteに限らずなぜか文章を短くしようとしてる動きがあるよなあ、とは思っています。

東京都の新型コロナに関するモニタリング会議の報道は都民なので私は目にすることが多いのですが、今月5日には爆発的感染拡大の状況にあると伝えたほか、新規陽性者の7日間平均が1週間後にには1.78倍、2週間後には3.17倍に増える、という報道の仕方をNHKはしていました。記事にはなぜ3.17かは書いていませんでしたが(私は善良ではなく疑り深いので)1.78に1.78を掛ければおよそ3.17だよな、と理解してます。でもってそうなるとその次は3.17に3.17を掛けるわけですから10.04、その次は10.04に10.04を掛けて100.8になるのですが、もちろんそれは書いてません。たしかにそれらは「爆発的感染拡大である」とくくって短くしても間違ってはいないのですが、(感染拡大という言葉になれてしまったいま)その言葉が本来もつ深刻な意味合いが誰にも通じたかというと疑問で、文章を短くするうえで「なぜそうなるか?」というのを削ってしまうのは感染症に対しての警戒の意識を削いでしまったのでは?と思っています。

さて、5日から1週間を経て「制御不能な状況」と声明がでた12日の都のモニタリング会議で示された新規陽性者の7日間平均は5日の予測より低いのですが、増加比114%という数字がでていて2週間後の予測として新規陽性者が(根拠は相変わらず書いてないのですがおそらく1.14に1.14を掛けたであろう)1.3倍に増える予測が報道されています。

都民としては予測が良い方向に外れてほしいのですが、新型コロナの新規陽性者数の予測に関して言えば具体的数字ではなくてむしろ「なぜそうなるか?」の答えでもある「ネズミ算的に増える」ことを長くはなるものの数字を含めて平易な言葉で明示すれば多少は人流を抑制できるのでは、とどうしてもシロウトながら考えちまうのですが。

ただ、読む方も・書く方も、(「ご指摘には当たらない」とかも含め短文で済ませ長文を避ける風潮があって)文章を短くしよう・文章は短い方が良い、とされてしまう社会の傾向のなかでは、これって難しいのかもしれませんが。