「〇〇してえらい」

所沢や本川越へ行く西武線というのがあります。

その西武線ではここのところずっとコウペンちゃんというキャラがポスターに起用されています。「マスクをつけてえらい」とかのマスク着用奨励はもちろん、たとえば「電車に乗ってえらい」ってな具合にわりと肯定してくれる存在です。少し前には「通勤してえらい」というのもあって、18からこちら働くのとそれに付随する通勤は当然であったのでえらいと云われると違和感があるのですが、その違和感は私だけかもしれないので横に置いておくとして。似たようなものに「学校へ行ってえらい」というのもありました。

これから書くことは少し言いがかりに近いことかもしれません。

青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない」というラノベをずっと追って読んでいるのですが、青ブタでは主人公の妹である梓川かえではわけあって学校へ行けず(「おるすばん妹」)、かえで以外にも馴染めず学校へ行けなくなってしまった広川卯月という登場人物がでてきます(「おでかけシスター」)。フィクションであることを差っ引いても行けなくなった理由は腑に落ちるもので、それまでそういう人物がでてくるフィクションを読んだことが無かったのでかなり印象に残っています。その青ブタの読書体験があったので「学校へ行ってえらい」というのに引っかかりを覚えました。

コウペンちゃんのいう「〇〇へいってえらい」とか「〇〇できてえらい」は「〇〇へ行けないのはえらくない」「〇〇できないのはえらくない」を意味するものではないというのはわかります。しかしそのコウペンちゃんの「〇〇してえらい」系の単純なほめ言葉は「〇〇できない」側を追い詰めるのではないか的な疑問があるのです。かといって他にどういう妥当な言い方があるのか、というとわかりません。

私は異性と婚姻して子供を育てるという経験を積んでいないので問題に直面せずにいたのか、コウペンちゃんに出会うまではほめ言葉についてそれほど考えてはいませんでした。正解ってないのかもしれませんが、日本語というか、ほめ言葉って難しいよなあ…とつくづく思うのですが。