博多のお父さん

元旦の午前中にテレビを観てて、博多華丸・大吉の漫才を視聴していました。
笑いというのはいくつか種類があるのですが、そのうちのひとつはほんらいあるべきものからの逸脱です(ボケともいう)。題がたしか「博多のお父さんといっしょ」だったせいもあって「いっぽんでもニンジン」という有名な数え歌がありますが、それを「一番でも内川、二番でも今宮、三番でも松中、四番なのに金子」というホークスの選手が登場するものに華丸さんが変えてました。ほかにも誰もが知ってるとは限らない九州固有のキーワードがちりばめられてたのですが、大吉さんが全国で放映されてることをほのめかしながらおそらくわからないかもしれない人に説明し、回収しながらツッコミを成立させていました。巧いなあ、と思っちまったんすが。書けば書くほどやぼったくて、笑いのツボをうまく説明できないのですけど。
でもって内川選手や今宮選手は福岡であればだれもが知っていますが、九州以外では正直限界があります。博多のお父さんに限らず身の回りのことば・自分が知ってることばで相手が知ってるかどうかを問わずに話をどんどんすすめてある程度完結してしまう人というのはいるわけで(聞いてるほうは戸惑うのだけど、漫才ではないリアルでは上手く回収してくれる大吉さんの様な存在はいつもいるとは限らない)、風刺にもなっててなるほどなあ、と思わされたのでした。華丸・大吉両師匠が風刺を意図してたかどうかはわからないのですが。
年賀状を書きながら「博多のお父さんにならないように注意しとかないとな」と、へんなところで小さな今年の抱負ができたのでした。