AKBというのは興味がありませんでした。いまでもあんまり興味がありません。最初はどこか討ち入りするのかな、とバカなことを考えてましたがどうも違うみたいで、総選挙をして人気が高い人が真ん中に行く、というシステムがなんだかすごいな、と思った記憶があります。でもって通勤時に見知らぬ人が読んでたスポーツ紙の記事がまさにそれで、なんだかまたやってるみたいです。
あの人たちがすごいなあ、と思ったのは全員制服をきてることです。制服ってのは個性を消す・自分を消します。制服は保守的で、そのシチュエイションに溶け込まないと浮きます。で、制服を着るってのは控えめに見えます。なもんですから、制服を着てる人は看護婦さんにしても駅員さんにしても自衛隊員にしても「控えめである」「職務に忠実である」ってことの延長線上で「いうことをきいてくれるかもしれない」幻想ってあるんじゃないか、ってのがあります。話を脱線させると、相手と対等な関係を築くことでなく執事さんとかメイドさんの格好の人に「おかえりなさいませご主人様」「おかえりなさいませお嬢様」といわせるのは「いうことをきいてくれるかもしれない快感」を得るからでしょう。メイドカフェなり執事カフェが繁盛するのは「いうことをきいてほしい」欲ってのが増大してて、いまはものすごくストレスフルな社会なんだろな、って今更ながらおもうのですけどそれはともかく。
で、あの制服は個性を隠して、見てるひとへの従順さを狙ってるのかなあ、と。けっこう怖いことというか、あの人たちに人気が集中するのは、自分たちがコントロールできるかもしれない、と思わせてるところです。そのひとつが投票でしょう。考えすぎかもですがそこらへんのあざとさが見えて、商品としてというか対等な人として扱ってない雰囲気がなんとなく苦手で、どこにAKBファンがいるのかわからないので黙ってるんすけど、テレビをみててもチャンネルを変えちまいます。ちょっと病的かも。
正直「かわいい」ってなんだろ、ってのがあります。答えがあるようでありません。たぶんそのうちのいくつかの要素は、反抗しない・従う・批判されない安全地帯に逃げる、というのがあるような気がします。そんなことを考えたのは、前にも書いたかもなんすが、メシを食ってたとき目の前で残されて「こんなにたくさん食べられない」という経験があったからです。てめーオーダーするときにそういうこと考えろよ、と頭をはたきたくなったことがあるんすけど、かわいく言えばそれが許されると思ってる感覚が大嫌いなのです。近接するのは「こどもっぽさ」かもしれません。でもって「かわいさ」「こどもっぽさ」をまとってると、それを寛容に受け止めないと大人ではないような、はたからみたら「かわいくふるまってる女の子」を「わがままを寛容できないいまいちな男」が批難してる的なことになっちまう歯がゆさがあって、なんだかな、と思っちまうのですが。鹿はかわいいなあと思えるのですが、めったに女の人がかわいいとは思えなくて、なんとなく反発心を覚えちまうのですけど、もしかしたらその「かわいさ」が自分にないせいか、嫉妬してるのかもしれないのですけど。