結果の平等という考え方と、機会の平等という考え方があって、ほんとは機会が平等であるべきなんだけど、たまに結果が平等であるべき、みたいなバネが働くことがあります。人というのは差異があって、美形のひとと、そこそこ美形のひとと、それなりに美形のひとと、それなりのひと、というのがいます。で、この中で均等に機会を与えたとしていちばんモテたり人気を得やすいのは「美形のひと」であったりします。しかし結果の平等というのを重視すると、「美形のひと」というのはモテやすいから、モテにくい「それなりのひと」に基準を置かざるを得ません。そうすると「それなりのひと」ベース思考になります。でもって美形というのは普通と違うのだ、というのがあたりまえになってきます。男は顔じゃないよハートだよ、とか不思議な理屈も出てきます。そもそもその時点で美形に対して差別的である萌芽があるんすが、それはともかくとして。


AKBというのを正直ほとんど知りません。ただ恋愛禁止だか、ともかく不思議なルールがあることは知ってて「ひでー」とは思ってて、なんでそんなことするのか後輩に訊いたら、身近で会いに行けることを前提にしてるってことをきいてて、ああ根っこが「それなりのひと」と同じベースなので、それなりのひとは必ずしもモテるとは限らないから結果平等・差異が無く同位置に立つために、恋愛というのを消し去ってることを理解したんすけど、正直なんだかなあ、という意識はあります。
ルールを破って髪の毛を切って謝罪というニュースをみててすごくへんな気がして、なにがへんに思えたのかわからなかったのですが、恋い焦がれるとかそういうものは人として自然なことでもある側面があるので、そこまで禁止する必要が・結果平等を貫き通す必要が、あるんだろうか、この社会はものすごく非人道的なことをしてるんじゃないの、なんてことを考えちまうのですが。いや、アイドルだからってのはわからんでもないのですが、それはそれで同じ血が流れてる人として見てないことなんじゃないのかな、って思っちまうわけで。

そんなこと思えるのは女性アイドルにほとんど興味を示さなかった変なやつなので、おれのほうが変なのかもしれないのですけども。