「かわいい」

高校生の頃は文化祭実行委員会というところに属していて、後夜祭の準備のとき体格の良い後輩に壁ドンされて「かわいー」といわれたことがあります(注:私の母校は男子校です)。野郎としてそういう場面に出くわすというのは稀有な経験なのですが、理解したのはひとというのは観察物とのあいだにおそらく差異があるとき「かわいい」と発します。ついでに自覚したのは「かわいい」というのは対等ではありません。対等なら壁ドンなんてしてこなかったでしょう。最近、

女の子は可愛くなきゃね学生時代はおバカでいい
HKT48アインシュタインよりディアナ・アグロン」より

という曲が女性蔑視ではないか、って議論があることを知りました。
「かわいい」ってのは対等ではないわけで、それを是とするか否とするかで答えが違ってきます。否なら蔑視にみえるでしょうし、生き残りの作戦として誰かの庇護の傘の下にゆくのをよしとするなら是でしょう。誰も訊いてはいないと思いますがわたし個人は庇護を良しとしないので、かわいくなくちゃダメ、ってのは違うんじゃないの感があったりします。
そのあとの「おバカでいい」ってのも人によっては意見が分かれるはずで「おバカでいい」≒「笑われる可能性がある」「呆れられる可能性がある」ですから、プライドがあったらできないことです。そのプライドを好きな人の前で捨てれるかどうかで、「手ぶらでくればいいのに」といわれたときに平たい胸の左右の乳首のあたりに左右両手を添えて「手ブラ」のサインはしたことがありますが、私はおバカな振る舞い≒笑われることがあまり得意ではないので、けっこう抵抗があります。
ただほんとに野郎って存在は不思議で、上を通過する人が野良猫をみつけてかわいがってる姿をみると、うむ、かわいいものに弱いところあるよなあ、男を攻略する人の戦術の描写と考えればアリかもしれないなあ、などと思っちまうところはあったり。