壬申戸籍のこと

戸籍の話をちょっとだけ。
戸籍というのは明治四年に戸籍法ができて、翌年に戸籍ができました。通称壬申戸籍というものです。そのとき生きてた人は、その壬申戸籍にのってるはずです。で、戸籍というのは市町村役場にあるのですが届出というのをしないと、動きません。役所が勝手にやってくれるものではありません。出生があっても届出がなければ子供は戸籍ができません。死亡も同じで、死亡届が市町村役場にこないと死んだことにならないのです。戸籍というのは、その人が存在することを公的に証明する役割があります。また親子関係があること、養親子関係があるときはその記載、婚姻してるか否か、死亡してるか否かなどを証明するものです。戸籍の内容を元に本人確認や相続手続きなどにも利用されます。似たようなものに住民票がありますが住民票はそこに住んでるという「居住関係を公証するもの」です。置いている場所も戸籍は本籍地ですが、住民票は住所地になります。住所地と本籍地が異なる場合「戸籍の附票」というのがあります。戸籍に記載してる人について住所を記録したもので、本籍地の市町村にはその人がどこに住民票を置いてるのか判るようになってます。原則は、ですが。


戸籍というものが厄介なのは、届出がないときなのです。


戦時中、大都市のわりになかなか爆撃にあわなかった広島市の場合、念のため市役所から山のふもとに戸籍簿を移しました。そこにピカドンが光ってしまい市役所は焼けちまいますが、戸籍は焼けずにすみました。(でもいまの住民票にあたる寄留簿が焼けちまい、ピカドンが広島に落ちたとき広島に本籍があった人については把握できても、誰が広島に住んでたのか・どうなってたのかわからない状態が発生しちまい、ここらへんピカドンの被害者数が正確にわからない原因になるんすがそれはともかく)で、戦争が終わります。戦時中ピカドンで不幸にも一家全滅ということがあって、しかし一家全滅した場合、死亡届を提出する人がいないときはその一家は戸籍の上では「生きてる」ていることになります。なもんですから、広島市では実際に壬申戸籍に載ってた明治時代より前の慶応生まれの人がどこに住んでるかわからないまま戸籍上は「生きてる」るということが起きてました。で、一家全滅の家庭が戸籍上「生きてる」状態は別になにかの問題を引き起こすか、というと固定資産を持ってたりしない限りは滞納も起きませんから考えにくいです。でもさすがに実態からかけ離れてるので生存の可能性のない年齢に達した人の戸籍は広島の場合は法務局と協議の上で市役所が抹消してた事例があります。
で、戸籍というのは「届出」してもらわないとどうしようもない万能ではないシステムです。これらの問題は自治体には強制的に調べる権限がありませんし、勝手に抹消できる権限もありません。戸籍は相続に必要書類ですから財産的権利を支える大切な記録でもあって、自治体側が勝手に安易に抹消するとトラブルのもとになります。


繰り返しになりますが「戸籍」というのは家族ほか自発的に周囲の人に悪意なくちゃんとした事務処理能力があることを前提に役所に「届出する」ことを根幹にしてるシステムです。年金不正受給のため死亡届を出さなかったりとか、その前提が崩れ去りつつある、というのはなにを意味するか。たぶん、この国に事務処理能力とか、善意とか、そういうものがなくなりつつあるのかな、なんてことをニュースをききながら暑いのでいつもより低速度回転になってる頭でぼんやりといまさらながら考えちまったのですが。