NHKスペシャル「原爆死~ヒロシマ 72年目の真実~」を視聴して

NHKスペシャル広島市が蓄積してきた約56万人に及ぶ被爆者の記録である「原爆被爆者動態調査」を基にビッグデータの解析技術を加えて、ピカドンの直後の実態とらえなおした番組がありました。特定の地域で特定の死因が多発してることを指摘してて、視聴して興味深かったです、で終わらせてはいけない気がするので、書きます。
まずピカドン当日の圧焼死者の存在です。例として挙げられていたのはピカドンのあと爆風で倒れた建物のなかで爆心地から若干離れてる地域(広島女学院)では生存者がけっこういて、救出がままならぬなか、ピカドンのあと火事が複数地点で発生していて生存者がいる倒壊した建物にもその炎が来てしまい、圧焼死者が増えてしまった、と指摘していました。
また死者については6日当日に爆心地で即死者・死者多数であったのですが、翌日から6日の即死を免れても周辺部で1週間にわたって被ばくした人の死が続く状態になっていました。例として挙げられていたのはピカドンの熱や光線による特殊なやけど(熱せられた血液の水分が蒸発し血管破裂・細胞死滅し皮膚が火傷状態)になった患者が手当てをを受けるためになにもない中心部から隣町の府中町へ運ばれて行くのですがそこでも結果的に十分な治療はできず、さらに火傷に細菌が入り感染症で死亡者増加という事態になっていました。
さらに2週間後から爆心地から若干離れた地域での爆風や熱や光線によるものではない急性原爆症(吐血・下血など)による死者の増加を指摘していました。実例として挙げられていたのは当日は爆心地から2.5キロから離れた南観音町で被ばくしていて、しばらくはなんともなかったのですが、2週間後に死亡してしまった症例です。ピカドンのあと爆心地へ救護に向かっていてそこで小さい粉塵を吸ったことによる内部被ばくの可能性が捨てきれないことを述べていました。またピカドンのときに爆心地から離れた己斐(西広島)にいて爆心地に向かわなくても己斐地区にピカドンによる黒い雨が降ったことによる内部被ばくによって死亡した可能性が否定できない例が紹介されていました。ピカドンはやり過ごせても内部被ばくという厄介な状況が被爆者に襲い掛かっていたわけで。
それぞれの事例に付随して、なにもしてあげることが出来なかったと悔やむ生存者や亡くなった被爆者の遺族のインタビューが抉られるように胸を打たれました。
視聴しているときから想起したのは井伏さんの「黒い雨」です。主人公は可部線の駅で被ばくします(顔の皮膚がめくれ撫でると剥がれる)。文中、6日に駅であった知り合いは商売の都合で市中心部へ行きその後行方知らずであったこと、広島城天守閣がそのままの形で吹き飛ばされたこと、中心部の火災や立った歩哨の死体などがかかれたりしています(戦後、主人公の体調がすぐれないことも触れられています)。預かってる姪御さんは郊外に居てピカドンは避けられたものの広島へ戻ってから黒い雨を浴びてしまい、原爆症の症状がでてきちまいます(主人公とともに爆心地付近も歩く)。また主人公はピカドンのあと社命で寺へ行き経を習い葬儀を司る役目を負うのですが、ひっきりなしに葬儀が続く模様が書かれています。「黒い雨」はそれら尋常ならざる状況が文字で控えめに書かれていたのですが、やはり番組を視聴して尋常ならざる状態であったのだなあということを改めて知りました。
最後にいまでも広島市役所は被爆者動態調査事業を継続してることを告げていたのですが、戸籍は比治山に疎開できたものの住民票に当たる寄留簿までは間に合わず焼失していたというのをきいたことがあるのですが、そこらへん考慮すると気の遠くなる作業である・作業であったと思われます。頭が下がるとと同時にできうる限り継続して後世のためにに残しておいて欲しかったり。
なお8月9日(水)に再放送があります