桃の記憶

相変わらず東京の状況はシビアですが、それとは関係なくどうでもいい話をします。

バカにされそうなことを書くと私は本を読んででてきた食べ物のことが妙に気になることがあります。なので読んだラノベなめろう丼がでてきたあと、自作したりしてます。

高校生の頃に井伏鱒二の「黒い雨」を読んでいて本筋とは別に当時の食糧事情が書かれてて妙に記憶に残ってて、いまでもそのくだりを覚えています。最初は配給は米だったもののそのうち大豆の搾りかすになってしまい、6日の当日の朝の献立はその大豆の搾りかすに浅蜊の塩汁だったそうで。作ろうとは思いませんでしたがどんなものかは調べようとして大豆の搾りかすがおからなのだろうなとすぐ推測はついたのですが、塩汁は正直わかっていません。潮汁のことかもと推測していますがって…汁物の話をしたかったわけではなくて。話をもとに戻すと「黒い雨」には召集を受けて広島に居てピカドンに遭遇した備後地方の医師の話も触れられています。被爆してから奥さんが備後の隣の岡山に桃を買いに行き、卵と桃で結果として生命をつないだ話がなぜかずっと忘れずに記憶に残っていました。

さらにバカにされそうなことを書くと、親が病気になったとき父の時も母の時も黒い雨の例を覚えていたので桃を買っています。薬の副作用などで食欲がないときなどに金に糸目をつけずに旬の桃を買ったりしていました。ありがたいことに東京の隣は桃の産地の山梨で手に入りやすい環境で、文字通り毒にも薬にもならないので症状改善には何の関係もないのですがしかし食欲が無くても桃は完食のことが多く「桃ってすごいな」と思わされています。結果として知らなくてもいい知識が増え、7月の桃(たとえば白鳳など)は比較的やわらかく、8月になると出回る桃のうち川中島白桃や一宮白桃は締まっててたり本白桃(いわゆる白桃)はなめらかだったりと、多少は詳しくなってしまっています。

もっとバカにされそうなことを書くと、親はもういないしいまとなっては特に買う必要もないのですが、各種一かけらくらいは口にしてしまってて味を知ってしまったがゆえに、ずっと夏(バテの時期)になると「以前お世話になったし御礼を兼ねて」とか理屈づけして買っていました。今年もいちど買っています。週末まで東京は再度猛暑日が続く予報で再度桃を買うかどうか迷っているものの「桃狩りの観光客もいないだろうし産地を食べて応援しなくちゃな」という理由で買ってしまいそうな気が。理屈と膏薬はどこへでもつく、といいますがたぶん山梨の桃にもつくのではないかな、と(異論は認める)。

食い倒れという言葉の意味は食べ物に金をつかってしまうことのはずなのですが、桃を前にするとその危険性がちょっとだけわかるようになっちまいました。桃は個人的にはちょっと危険な果実です。