性別変更後に産まれた子の認知に関しての事例の最高裁の判断

いつものように話が長くなります。しばらくお付き合いください。めんどくさい方は赤い字のところだけお読みください。

民法家族法の分野には認知という言葉があり

第七百七十九条 嫡出でない子は、その父又は母がこれを認知することができる。

父または母が子について血縁上の親子関係の存在を認める旨の行為です。そもそも市役所などに婚姻届けを出している婚姻している男女の間の子は嫡出子たる地位を得て子と親の間に親子関係が成立しますが、市役所などに婚姻届けを出していないいわゆる事実婚の男女間の子(=家族法の世界では婚外子と称することがある)のような事例においてはこの認知という行為をしないと親子関係は成立しません。ただし母と子においては判例上母の認知を待たずに分娩の事実をもって親子関係が成立する扱いになっています(最判S37・4・27)。そして787条に子からも認知の訴えに関しての条文があるので、子からもできます(この場合、親が子の法定代理人となることも出来る)。

それとはまた別に「性同一性障害者の性別の取り扱いの特例に関する法律」というのがあります。ここでいう「性同一性障害者」の場合、戸籍を変更することが出来ます。ただし3条に条件があり現在は

・18歳以上であること

・現に婚姻をしていないこと

・現に未成年の子がいないこと

・生殖腺がないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること

などが必要です。条件に合致してる場合は家庭裁判所で家事審判を申し立てして家裁が許可をだし、戸籍の変更を行います。なお蛇足ですが性別変更にあたって未成年の子が居ないことが要件となっていますが認知していなければ生物学上はともかくとして形式的には法律上は子が居ないのと同じことになります。

戸籍の変更のときに男性から女性への戸籍の性別変更前に精子を凍結して保存しておくことは別に何の問題もありません。しかし戸籍の性別変更後にその精子を利用してパートナーの女性との間に子を出産した場合、同性婚の制度がないので当然にはその子は2人の間の子とはなることはありません。そしてその出産したパートナーと子の間には分娩の事実がありますからさきほど述べたように判例によって当然に親子関係が生じますが、男性から女性へ性別変更した人と子の間には生物学上の親子関係はあっても法律上は当然には親子関係は成立しません。性別変更した人からの認知というのが浮かびますがそもそも前提として生殖腺がないうえで性別変更をしているので困難です。もうひとつの取れる手段の一つとして子からの父を相手とする認知の訴えです。

婚姻届けを出さない事実婚状態のときに(≒性別変更前に)生まれた子および性別変更後に凍結した精子を利用してパートナーとの間に子を出産した事例について(出産した親が法定代理人となって)子からの認知の訴えがあり、それについて2022年の2月28日付けで東京家裁で判決があったのですが

「法律上女性とみなされる人が父にあたるとすることは、現行法と整合しない。子どもを出産しておらず、母とみることもできない」

としていずれも棄却しています。この判断は過去の判例や現行法との整合性を重視してて、また性別変更後に婚姻して第三者精子を利用して子を出産した場合においてその子を嫡出子として扱った事例(最判H25・12・10)が以前あってそれらを含めどちらかというと生物学上の親子関係だけで親子関係父子関係等が決まると裁判所は考えていなさそうなところがあるので、私個人はそれほど突飛なものとは思えませんでした。

この子からの認知の訴えの訴訟は地裁を経て東京高裁に持ち込まれ、2022年8月19日に判決があり翌日付の毎日新聞によると

「子が認知を求めるのは重要な権利で、凍結保存精子を提供した男性を父として認知請求をできる」

と指摘したうえで性同一障害特例法の「性別変更後も、変更前に生じた身分や権利義務に影響を及ぼさない」という規定から

「性別変更前に生まれた長女は認知請求ができるが性別変更後に生まれた次女は認知請求ができない」

と東京高裁は判断しています。子の身分関係を安定させる観点からは男性であった時期に生まれた子の認知を認めるというのは理解できるし東京高裁はそこを重視したと思われるものの、結果として生物学上の姉妹でありながら判断が分かれるというのが厄介で、最高裁に持ち込まれていました。

その判決が21日にあり最高裁は裁判官4人全員一致の結論として

「血縁上の父の法的性別にかかわらず、婚外子は認知を求めることができる」

とし高裁判決を破棄しています。正確に書けば「結縁上の父子関係があるのに性別を理由に認知が妨げられるのは子の福祉や利益に反する」とし、簡潔に結論だけ書けばは生物学上は父にあたる人の戸籍上の現在の性別が男でなかったとしても父とするという判断です。認知がない場合には養育や扶養を受けられないほか相続人になれないといった不利益が生じ子の福祉や利益に反するのは明らか、と述べ、また性同一性障害特例法が性別変更の要件として未成年の子がいないことと定めている点については子の福祉に対する配慮で父子関係を認めない根拠にはならないとし、どちらかというと父の性別よりも子の福祉が前面にでた判断です。

地裁と高裁はどちらかというと現行の制度や条文を踏まえた判断という印象があるのですが(それはそれで責められるべきことではない)、今回の最高裁の判断はどちらかというと当事者に寄り添っている印象で、制度や条文の隙間から零れてしまう個人が蒙る不合理は可能な限り避けるべきである、という強い意思表示に思えました。と、同時に気のせいかもしれぬものの、異性愛カップルと同性愛のカップルをどちらかというと分け隔てなく取り扱う思想が伏流水のように流れてる気が。

以下22日追記。

補足意見が付されていて、03年の性同一性障害者の性別の取り扱いの特例に関する法律制定時には性別変更後に生殖医療を利用して子が産まれる可能性は立法関係者の間では認識されていて、にもかかわらず、「法整備が必要な状況にありながら年月が経過し、現実が先行している」と指摘しています。法が現実に対応できていないのは確かにそうだよなあ、と。