ねえ君は覚えている?

眼科の手術って場合によっては眼のまわりに麻酔をします。手術そのものよりも注射を眼球にする恐怖が先にありました。それと手術後の麻酔が切れたあとの痛みがある、というのが恐怖でした。死んだ両親にとってはわたしの目というのは心配事のひとつで、それぞれ仕事をもって忙しかったはずですが休みをとっていて手術前と手術後に、抱きしめられた記憶があります。カタカナでハグっていうとその重み・ぬくもりがどこかかけちまう気がしますが、人のぬくもりとかそういうのは(いまいちはっきりしない視界のなかではなおさら)原始的な安心感がありました。
晦日勤務先から帰宅しての風呂あがり、テレビをつけたら偶然みわさんで、ヨイトマケのところはきちんと聴いてしまっていて、主人公がきついめにあったとき「抱いてもらおうとした」けど「帰っていったよ学校へ、勉強するよと云いながら」って部分で唸っちまいました。原始的安心感ってのを経験してると、心細いときに欲する気持ちも理解できないわけでもなく、でも「ちゃんとしなくちゃ」という葛藤が容易に想像というか理解できるのです。誰かに無条件で抱擁される・抱きしめてもらう、ということは(抱きしめるのが親でなくても)とてもそれは力強い支持というか援軍なんだけど、それにすがり続けるわけにもいかないし、きちんと自立しなければいけない、ということを悟った・悟ったときのうたなのかもなあ、といまさらながら理解しました。いや、ぜんぜん違うかもしれませんし、親に対する追慕という側面もある多面的なうたではあるはずなんすが。
そのあとREBECCAがでてきて、フレンズを歌ってて、よくある「あるあるネタ」になっちまうのだけど

口付けをかわした日はママの顔さえもみれなかった

って部分で動きがとまるというか、もそうだよなあ、と改めて思いました。キスはたいてい誰にも公開しない二人だけの秘められた行為で、相手と唯一の何かを共有できたと思うのがどこか嬉しい反面、言えないことを増やしてしまった背徳感のようなものがあったりしました。男子校だったせいもあってなおさらなんすが、きいててそのときのことが思い起こされたといえばいいかもなんすが。
なんだろ、「ヨイトマケ」にせよ「フレンズ」にせよ、いまから30年以上前のうたってのは身体にひっかかるというか突き刺さってくるようなそんな感覚があるのですが、もしかしたら個人的事情によるものか、もしくはてめえが年をとっただけかもしれなかったり。