Comin' through the rye

信号機に盲人用のメロディがついてることがあって、私が「麦畑」と呼んでるメロディが使われてます。子供のころに「誰かさんと、誰かさんが麦畑♪」って歌ってるのを聴いて以降、麦畑って呼んでるんすが、俗に「Comin' through the rye」と呼ばれてるやつです。
この麦畑って(私が勝手に呼んでる)曲はずっと脳内でこびりついてます。すぐ歌えっていえば、今でも冒頭の部分はすらすら出てきます。もともとはスコットランド民謡で原詩は

If a body meets a body, comin' through the rye.
If a body kiss a body, need a body cry.
Every lassie has her laddie, none they say have I
Yet all the lads they smile at me
When comin' through the rye.

ってなやつです。韻律を踏んでてきれいな詩なんすけど、野暮を承知で訳せば、
ライ麦畑を通りぬけ、誰かと誰かが逢うならば、誰かと誰かがキスしたら、(泣いちゃいそうだけど)泣く必要あるかな。そりゃどのこも彼氏がいるけれど、私に誰もいないけど、でも彼ら誰もが微笑むよ、私がライ麦畑をとうるとき」
ってな具合でしょうか。いかようにも訳せますが。
いまは彼氏もいないけど、ほんとはモテるんだから、って強がってる曲と理解してます。


ちゃんと歌詞をしらべ辞書をひいたのは確か高校生の頃です。lads (若者)lassie(小娘) laddie(少年)なんて単語は調べるまで知りませんでした。で、辞書を引きながら勝手にほのかに恋心を寄せてた誰かが麦畑でキスしてたんだろな、ってのを想像しました。あたってるかどうかはわかりません。同時にこの女の子の抱えてる一人でいるちょっとしたさびしさ・切なさ、のようなものはなんかすごくよくわかった記憶あります。以降、この曲、自分の中ではちょっと切ない曲だなー、って思うようになっちまいました。
大人になったいまでも、この曲をさびしいときに耳にすると少し胸を引っかきまわされるというか、思考が少しの間、止まっちまいます。


さびしい、ってのはほんとにっちもさっちもいかなくなる感情でなるべく封印しています。でも、たまにその封印が破れることがあって、つい最近のきっかけが不意に耳にしたこの麦畑のメロディでした。歌詞が脳内を駆け巡り、あんまり良くない連想ゲームがはじまり、いちゃいちゃできる相手がいないってさびしいよな、なんて今更なことをふと考えちまい、さらに「以前、相手がいたときのいちゃいちゃしてたときの幸福さ」って云うのがまだ忘れられないんだよな、ってなことも改めて確認しちまったんすが。で、そういうのって、忘れられるものなのかどうか。一人に慣れたので忘れたいような、でもちょっと忘れたくないような。