下町育ち的なもの

生活保護を受けるほどじゃないけど裕福な家庭に私は育っていません。で、私が社会人になるまで実はエアコンは実家に一台もありませんでした。夏の暑いときは勉強は公共施設か自室に扇風機があったのでそれを回して全裸に近い格好で机に向かっていました。どう考えても上流階級の家庭の育ちではないと思います。で、付き合った相手の影響で奈良のホテルで朝に2000円位する茶粥を食べてたり山梨のワイナリーで一本20000円するワインの試飲をする機会があって、世の中にはこんな美味しいものが存在するのか!というカルチャーショックを受け、なるほどお金のある人たちはこういう食べ物を食べてるのかなんてことはうっすらわかったことがあったけど、不思議なくらい上流階級とかそこらへんのくらしをあまり羨ましいとも思わなかったです。
なぜって、高価なものに囲まれた生活とかには魅力を感じないからです。


そうなったのは、なによりも下町育ちの父も母も金はないけど教養はあって、どちらかというと趣味に生きてたのを目の当たりにして育ったせいがあるかもしれません。死んだ父はカメラいじりが好きな上に落語に造詣が深かったし、母は茶道をやってたほか歌舞伎にうるさい。裕福じゃなくっても趣味や教養があれば楽しそうに生きていけるしなんとかなるっていうのを目の前で見てきて、高価なものに囲まれた生活より趣味や教養に囲まれたほうが魅力的に思えたってのがあります。

付き合った相手もまた下町育ちで仕事熱心なわりに趣味と教養がないわけじゃなく、この相手の影響で私はクラシックに目覚め傾倒してゆきました。ただ、その世界を知るにつれて小さい頃から音楽会につれて行ってもらってた過去が正直羨ましいとおもいはしました。


母も死んだ父もそして付き合った相手もそうなのですが、自分からは決してその教養とか趣味について普段は強くは主張しないのです。ただ、傍からみてると外見は淡々としていなくもないけど、何かの拍子にスイッチが入ってるとき近づけば近づくほどその対象に対する熱をうっすら感じるのです。で、得意分野を話すときは判ってもらおうという意思からか言葉の選択に注意が払ってあってそして愛があったりもします。そして対象物に対してかなり本気なのがうっすらわかる。単なる遊びって判ってても本気にならずにいられないのかな、と思います。そのスタンスがひょっとして下町特有のものなのではないか?って疑っているんすけど。


実は、生きてく上では実はわりと重要なのは趣味とか教養なのではないか、なんてうっすら思っています。ただ、私は本気になれそうな趣味や教養を持ってないので、持ってる人が羨ましかったりします。
羨ましがってるだけじゃしょうがないんすけども。
いかんせん仕事が忙しくて…てのは、仕事と両立させてる人が居るから抗弁にはならないかも。