怒りの話(カッコ内訂正しましたすいません)

サザエさんは「お魚くわえたどら猫」を追っかけてるとき、たぶん怒りに身体を任せてたことは間違いないと思うのだけど、お魚を奪還したとして、その魚をどうするつもりだったんだろう?やっぱり食べるの?ってのが小学校以来の疑問です。それはともかく、裸足で駆けてく♪なんて言葉を続けてるので、えてして怒りに包まれてる人ってのは外からどうみられてるかとか考えてないし行動がちょっとおかしいんですよ、そうならないように気をつけましょうね、ってことを故長谷川町子先生は暗に軽く警告をかねてアニメで示したかったのではないかと高校生の頃から考えるようになりました。ほんとのことはわかりませんけど。でもその後のみんなが笑ってるー♪ってのもなんか意味深です。
裸足で駆けてくなんかはかわいいほうで、怒りの結果の行動については理解しがたいことってほんとあります。
関東地方ではいまだ成田空港問題って根が深いのですが、成田問題で怒りに燃えた方々は成田行きの京成電車を焼き討ちにしました。そのことを知ったのは事件からだいぶ経った後で子供のときだったんすけど京成が成田空港を拡げたわけでもないのになんで京成がターゲットにされたのか判りませんでした。もっとも大人になったいまでも判りません(いくらか脱線すると昨日の秋葉原の殺傷事件も同じでなんでナイフで未知の他人を刺すのか、っていう根源的なところが判らなかったりします。本人にとっては許しがたいなにかを抱えてて自分をもてあまして他人に衝動が向かい凶行にいたったのかな、と思いますが。他人を攻撃すれば本人はちょっとは楽にはなりますから。ただ私が原因究明したとこでなんの意味の無いことで、いまはただ偶然居合わせ死亡してしまった方の冥福と大怪我されてる方になんとか生きる力が与えられることを祈るのみなんすけど)。


怒りってのは不快な場面で生じる自然な感情でしょう。で、怒りを放出したほうが一瞬楽になるんすけど、後の処理が大変なので人との関係性を考えるとあまりださないほうがいいのかな、ってのが自分の中にあります。
スポーツをやってて例えば誰かがヘマをすると、よく「ドンマイ」っていいますが、あれ、潤滑油なのです。そして人は良いほうに変化するという可塑性っていうのを球技なんかやってるとうっすらわかってきます。間違いやへまって、慈悲にも似た相手を許すっていう誰かのドンマイという言葉で減るんすよ。不思議と。で、仮に野球で誰かへまして怒りに任せて何かをいったら最後、相手への信頼性も可塑性もなにもなくなります。人間誰だって十全じゃないわけで間違いも起こすし失敗もするわけで、へまや失敗を前に怒りにふるえて思うがままに行動してると団体競技は成り立ちません。そこらへん、うっすらわかったあとは人との関係性の中で生きてる部分が多いとおもってるので不快なことがあった後に怒りに包まれてもなるべく自制してはいます。それでもセーブしきれないことがあったりするけどいまんとこ口が思いっきり悪くなるとかですんでて犯罪を犯すような大事になってはいません。


怒りとか、ネガティブな感情を減らすことを学ぶには、どうしたらいいのかってことをたまに考えます。怒りとかネガティブなことを自分の中で排除するってことはけっこう難しいからです。いまのところなんとか普通に市井で生けてけるようにコントロールで来てるつもりですが、後学のためにほんと知りたいところなんすけど。
ただ、怒りに包まれた結果お魚くわえたどら猫を追っかけて裸足で駆けてく姿ってのが笑えるし洒落にならないしかっこ悪いってわかってるのでそれだけはしたくないなー、っていうきわめて不純な動機からの思考のせいか、いまだ妙案って浮かびません。