7月のへんろの記録

今回初めて四国にデジカメをもってゆきました。
ただ写真を撮ることが目的ではないので枚数は少ないです。差し支えなければ御覧下さい。今回高知県安田町から歩き始めました。


第一日目


27番神峯寺です。
真っ縦と表現される急坂の山の中にあります。標高430mくらい。
奥に階段が見えますが、さらに上ります。
地図→(map:x133.9741y33.4676

本堂の前には既に団体が居ました。挨拶をしても反応がないし、まとまりなくたむろしてたのでなんとなく視線を浴びつつ邪魔にならないよう勤行していたのですが、その途中で向こうも大声で説明し始め、勤行をはじめようとします。何かを期待してたわけではないのですが、これも仕方ないことなのかなあとかおもってたのですが、勤行が終わり一礼して団体のほうにも会釈したら、先方の代表の方が説明を中断して軽く謝罪してきました。あやまられる筋合いのものではないのでこちらも頭を下げて退散しました。タイミングって難しいですね。





高知県安芸市、大山岬というところです。よく判らないかもしれませんがほんとは海がみどりでした。

防波堤沿いに歩道が有ってそこをひたすら北上します。去年の11月に室戸のほうで海を見て以来なので海沿いを歩くのは最初はラッキーとかおもってたんですが、そのうち飽きてきました。こういうごつい岩がけっこうあります。

あまりひざしがでてないんですがしっかり紫外線にやられてしまってたようです。
まさか海から紫外線が反射してたとか?

この日の宿で、風呂借りたときに日焼けの事実に気がつかないまま最初にお湯をからだにかけて、悶絶というか声にならない悲鳴をあげました。



第二日目


へんろのたどる道にはこうした標識があるところにはあります。公式のものではなくて善意でボランティアの方々が整備したりしています。迷いそうなところにはたいていあります。もっとも地元の方に訊いてもたいていはこたえていただけます。よそ者でも受け入れてくれる文化が昔からあるものと思われます。



28番大日寺です。野市という町の山のふもとにあります。
朝はやかったので誰もいません。

夏は時間が経つにつれ暑さで体力を消耗しますから朝早くから動いてました。私の場合朝5時おき5時半出発とかです。



こういうあぜ道もあります。都会育ちからすると滅多にない体験です。向こうに見える木立が国分寺になります。

29番国分寺です。
仁王門が立派でした。

陽がさして暑くなってきました。
ここらへんまで朝ごはんをとっていなくて、野市のサークルケイで何か買えばよかったと後悔していました。案の定食べられそうな茶屋とかはなかったです。ここに来る途中、無人直売コーナーでスイカが安値で売ってたりするのですがさすがに全部食べきる自信もなく、空腹のまま次を目指します。
四国コカがなかなか粋なことをしてまして、夏場はコカコーラやアクエリアスが100円で売ってます。それで糖分を補給してました。




30番善楽寺です。高知市内の住宅地の中にあります。
土佐神社という大きな神社があって、その付属品みたいな寺だなあ、とかおもっていたらほんとに神社の別当寺としての存在だったようです。

蒸し暑くなってきてて、納経所という後朱印をいただくところで体調について注意をうけました。そういえば天気予報は降水確率70㌫だか50㌫だかでしたが晴れてました。あまり当たらないようです。

このそばにマルナカという四国では大手のスーパーを発見!迷うことなく入ります。フードコートがあってうどんを注文。無料の麦茶をはしたないと思いつつ3杯くらい一気飲み。




31番竹林寺です。小高い山の上にあるんですが、へんろ道沿いに行くと、牧野植物園の中に出てしまい、植物園の中をタダでさまよったあと竹林寺へ。
「♪土佐の高知のはりまやばーしで、坊さんかんざし買うのみた」
というよさこいの唄があるのですが、その坊さんがいた寺です。37歳の坊さんと17歳の洗濯やの娘の悲恋の物語らしいです。


境内はけっこう趣があります。

ここで休止してたらタクシーの運転手さんがはなしかけてきました。雑談していると3000円で次まで送って泊めてやるみたいな提案。悪い人でななさそうだし泊めてもらえるのはありがたいけどちょっと躊躇してしまい辞退しました。




少しバテ気味でどうしようかと思ったのですが先にすすみました。
32番禅師峰寺です。
ここも山の上にあります。80メートルくらいなんですがけっこうきつかった。

画像がぶれてるのは、その、つまり、疲れたせいです。気力がまわらなかった。



境内からの眺めです。当然土佐湾ですね。右側が桂浜らしいです。
観光に興味がないのでよく判りません。不正確でごめんなさい。
よくみるとビニールハウスが目立ちます。


この日は35キロくらい歩きました。




第三日目

高知市内の浦戸湾を渡るのに途中渡し舟にのりました。初めての経験です。


33番雪蹊寺です。
種田山頭火の碑があります。
山の上ではありません。高知市内の工業地帯に程近いです。
で、勤行してる最中にサイレンが鳴り響きました。
クルマでへんろされてる方がいて、警報か何かかしら?大丈夫かなあ?不安がってきいてきて、たぶん工場の始業のサイレンだと思いますよ、と、こたえたのですが当たってたかはわかりません。


というのはこのあと大雨になったからです。サイレンは大雨警報だったのかも。
高知市内はここで終わりで、田園地帯へ進みます。
真剣に歩くのを止めようかと思うほどどんどん雨がひどくなってきて、漬物工場の軒先を借りて一時雨宿りしなければなりませんでした。天気予報がどうも高知はアテにしてはいけないみたいです。降水確率30㌫だったんですけどね。





34番種間寺です。
ここもありがたいことに山の上ではありません。ご本尊が薬師如来で安産に効力があるという信仰があるそうなのですが、そのために底のぬけた柄杓を奉納するそうです。
ただ、わたしには薬師如来と安産と底のぬけた柄杓のつながりがいまいち理解できませんでした。

雨はあがりました。
ここの納経所で、歩きでいらっしゃってますか?と訊かれ、正直に高知までは高速バスで来ましたし、今日も泳げないことないけど荷物があるから渡し舟乗りました、といったら先方が笑い、そのご褒美にかお接待としてスナック菓子を貰いました。




35番清滝寺です。
ここは山の中腹にあります。


昨日が少し飛ばしすぎたのと、暑くなってばててしまいグロッキーでした。

実はここから次の札所のある宇佐というところまで15キロあります。かつ、ひとつ峠越えがあります。
正午過ぎについたのですが札所で相談に乗っていただきました。今日中にたどり着けるでしょうかと。
清滝寺では一応ご親切にいざとなったら宇佐までバスで行けばよい、とご忠告していただいたのですが、札所を降りると土佐市というそこそこの町なのでここに泊まるつもりでした。ただまだ昼過ぎでなんかもったいない。



ここらへんが不思議なところなのですが、お大師様のおかげというか、巡り会わせというか、札所の下の土佐市内で群馬から来ているTさんに出会います。同年輩だとおもってわたしから思い切って話しかけてみたのです。彼がイケメンだったからというわけでもなく、なんとなくです。
「今日どちらにいかれますか」と。
「宇佐まで行くつもりです」
とかえってきたのでこの際ずうずうしくもお願いしてみました。
「途中まで一緒に同行しても良いですか?」
「かまいませんよ」と快諾していただけました。

このあと夕方宇佐に着くまでひたすらしゃべりながらなんの苦もなく歩きました。考えてみると不思議なのですが一面識もない、互いに名乗ったわけでもない、職業も知らない、赤の他人が、仏教や互いの体験談、その他どうでもよいことを何の躊躇もなく昔からの知り合いのようにはなします。もっとも身の上話はNGでしたが。
Tさんは一気に歩きで巡礼するとうし打ちのあるきへんろで野宿派です。確かにうっすら匂ってました。蚊のはなしとか、互いの年齢とかはなしたでしょうか。先方は私を年下だとおもっていたみたいでフランクで、私は先方を年上と考えて敬語を使ってたのですが、実はまったく逆でした。人を見かけで判断してはいけません。


名残惜しさを感じつつも宇佐到着後、別れます。


この日は35キロくらい歩きました。
私は翌朝36番を打って帰京するつもりでしたが、実は須崎を目指すTさんについていこうかな、という気持ちもありました。


第四日目

須崎まで行こうとおもって早起きしたのですが、右足に違和感がありました。単に多少の違和感なんですが。ただ、これを酷使して20キロ先の須崎まで山道を歩けるかって言うと難しそうな気がしてきました。やはり潔く計画どうり36番で打ち止めしたほうがよさそうです。宿の人はどうせなら須崎まで、とおっしゃってたのですが、そこは勤め人の悲しい性です。仕事に差し支えが出たらマズイ、と判断しました。

そうと決心したら別に急ぐ必要はないのですが、36番青龍寺には朝早い段階でついていました。朝青龍四股名の由来になった寺みたいです。門の奥には階段が続きます。



えっと、この高低差が仮に20キロ続くとちょっとつらいなー、とおもったのです。一日目ならなんとかなった気がするのですが、通算100キロ近く三日連続朝から晩までだとキツイと判断しました。ただ、眺めは良い。


思わず、撮ってしまったやつです。USAには違いないんですけど。



宇佐の街中で途中待っていてくれたわけではないんだとおもうのですが、Tさんが大声で手を振って呼び止めてくれました(ちょっと感動!)。別のへんろの方も一緒でしたが、今までの礼を申し述べ、事情をはなして須崎行きを断念することを伝えます。
また性懲りもなくここでとりとめのないこととか仏教談義をはじめてしまったのですが、最後に住所交換と、お互いの結願を誓って、たぶん今生でお会いすることはないとおもうので固い握手でお別れです。


このあと私は高知、神戸経由で帰途につきました。
今回のへんろはこれで終わりです。



私はこのブログで仏教の布教をするつもりもなく、へんろを薦めようという気もありません。何かを得ようとおもってでてるわけではないです。ただ私にとって実はお四国というのは現実問題として重要なことであります。たぶんどこかでバランスをとろうとして四国へ行っているようです。

旅行というのは決してマイナスにはならないんじゃないかとおもいます。
もし旅行にお出かけになるならその点四国を薦めます。
観光名所は知りませんが、良いところではあります。これだけは確信もっていえます。


長々と駄文にお付き合いいただき、ありがとうございました。


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