他人のケーキの問題

ローカルな話で恐縮なのですがガチで贔屓にしているケーキ屋のケーキの支店が荻窪の駅ビルにあります。荻窪は定期の経路なので途中下車でき、焼き菓子等を贈答に使うほか、特定の日にはそこでケーキを買います。買うっていったってせいぜい彼氏とおのれの分の2個なので箱の中はどうしても空きスペースができちまいますが、スペーサーというのか巧い具合に転倒しないように箱詰めしてもらえ、そしてこちらも爆弾を抱えてるような慎重さをもって帰宅の途につき、毎回無事であるとほっとします。

話はいつものように横に素っ飛びます。

ここ数日関東では通販のクリスマスケーキが崩壊したことが画像付きで報道されていました。私が頼んだわけでも喰うわけでも無いもののその報道に触れてるとなぜか不思議と穏やかになれずにいて、その何割かはケーキを慎重に運ぶ経験をしてるせいもあるのですが、ケーキというものに対してまだ「特別な日に食べる特別なもの」という意識が働いているせいだと気が付いています。そしていい歳した大人が崩壊したケーキをみて心穏やかではないというのはもしかしたら噴飯ものかもしれぬものの、あきらかに他人事とは言え自分だったら大事にして欲しいと思うものがそういう扱いではなかったことにちょっとショックを受けていたようで。

なんだろ、すっごく些細なことなのですがそのすっごく些細なことに引き摺られるおのれの器の小ささもしくは子供っぽさを、ここ数日思い知った気が。